先日、美宅先生に大学院と奨学金の推薦を書いていただくときに、山田さんと根岸さんと、研究室の引っ越しのときの考え方について話をしていた。
先生から、私が毎日ブログを書いて、人生をまめに記録していることを見て、実は書いて、忘れようとしていることだと言った。
「書く」ことは、「忘れてもいい」。ということなのだろうか?
一つの出来事を思い出す。
「活動歴」を作ったときのことだった。「活動歴」をもっと早く作ったほうがよかった!
4年生になって、1年、2年の時の活動を記録できないじゃないか?
忘れないうちに書いとけばよかったな~、アピールができるのではないか。
そう。私は忘れるのを怖かったのだ。
忘れると、私がやっていることが誰も知れない。私は知らせたい。私は自己アピールしたい!
しかし、そんな必要がなかったのだ。
先生からいえば、私は「細かい」。
もっと受け皿の目を「大きく」。「忘れる」ことが大事だと。
すなわち、些細なことを忘れて、「抽象化」して、大事な抽象化された「信念」「愛」「夢」などを残すのだ人としての仕事。
これがあれば、人ともみ合ったりもしないし、話し合いが進む。
みんなが同じ方向に望んでいるのに、話し合いが破裂するのは、誰も向こうの話を「抽象化」せずに、ただそのまま聞いていた話を考えていたからである。
やはり、僕は細かい。
神戸に行く途中でみんなといろいろ話そうとして、問題を解決しようとしているように見えるが、実は問題をややこしくしている。相手の話の背後の思いを理解せずに問題が解決できないのであった。
相手の言っている言葉を忘れろ!
というのもう一つの側面は、抽象化された相手への理解は、唯一大切なことだから。
それを、一生忘れないように、心に沈む。
それを、貯めて貯めて、さらに貯める。
私の人生は、一つ一つの意味がたまった「言葉」で、素晴らしい光を放つだろう。
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