29日、夕方7時前から8時までお母さんと話をしていた。
お母さんが私のことを心配してくれて、いろいろ言ってくれているのは私のためになろうとしているから、安心した。どうしてもイライラしていた気持ちはある程度おさまっていた。
お母さんは、私が今重要な時期にあるから、悩まないほうがいいと考えていた。
そして、悩んでもすぐは変えられないし、性格には何の悪いこともないから、変える必要がないと言ってくれた。
私は決心した。変えることには猶予がない。
「奉仕」という概念がとても素晴らしいことで、私を魅了したわけである。
自分の性格には悪い点はないが、もっと素晴らしい人になるように、もっと感情的に自立して、もっといい習慣を身につけて、社会のためになることを大事にしなければいけない。
そしてお母さんがいつもわたしのことを一番に置いていた、という言葉にとてもうれしく思った。
やはり、お母さんが私のことを普通の学生、と見ていなくて、心配していたが、確かめて大変嬉しかった。
自分がそんなに素晴らしい人間ではないが、素晴らしい人間を目指していることが素晴らしいではないか。
自己肯定、自己満足が必要だね。
そして、金山(研究室の飲み会)に行く電車の中で考えていた。
どうすれば、私がお母さんを幸せにできるのかと。地味に頑張って、自分がより素晴らしい人になること、
社会の中で、お母さんに継いでいろんな人を助けること、お母さんとずっと仲良くしていくこと。などが頭の中にいっぱいだった。
真剣に生きることに、悪い点はないかもしれないが、
ずるをするまでお金に厳しく、時間を油断する、自分を責める、ゲームで心理の満足を得ようとする、
いたずらで注意を引く、いざ評価されることにかかわると、逃げるか逆ギレする。
これらを地道に直さないと、ばかみたいな、幸せではない生き方になる。
もっと自分のことを受け入れて、自分が自分の世話をして生きていかなければいけない現実を受け入れて、
社会が厳しい現実を受け入れて、自分がだれにでも好まれることが不可能である現実を受け入れて、
素晴らしい人がいるが、私がそんなに素晴らしい人ばかりと付き合うばかりではない現実を受け入れて、
自分が素晴らしい人ではない現実を受け入れて、努力して、その素晴らしくない自分を受け入れる。
それから、奉仕を楽しもう。成長を楽しもう。失敗を楽しもう。
私ならできるはずだ。
2007年6月30日土曜日
2007年6月29日金曜日
人間関係のジレンマ -お母さん、どうすればいいの?
人間関係って難しいよね。
良くしようとする時に、逆に相手に傷つくとことがある。
日本のお母さんが私にいろいろ注意して、いろいろ助けてくれて、私は謝るつもりで、いろいろ言ったが、お母さんに「注意の件で非常に驚く事ありで、留学生の方の受入の是非を考えさせられました。 亡くなった義父母主人は反対の意志が強いですが劉さん張さんと良い方が続き私に任された形なんですが。皆に気持ち良く住んで頂きたいだけです」と言われた。
何で!!なんでだ!
私は叫びたい気持ちだった。
なんでこんなことになろんだ。
私は個人の事情をお母さんに話したが、それが原因なら、悲しいです。親しくしたくて、幸せにしたくて、迷惑をかけたくないという思いやりだったけど、「今朝の件は何の問題も感じていませんが注意をすることが非常に重たく感じ始めていますもう後わずかな時間でしょうから気持ち良くお過し下さい。私の度量は日本人の学生さんを応援する位のものと自覚し始めています。」→これは、あなたの親しさが必要ではない、あなたの思いやりなんか、耐えられない。と言っている感じがしてしまう。
何で?
お母さんに何も交流しないときに、かわいそうに思われたか、大変と思われたか、いろいろ助けてくれた。
自分の本当の気持ちを言ったら、お母さんに理解されて、慰めてくれたり、理解してくれることを期待していたが、まったく逆のことが起こって、「あなたがここに住んではいけない」ことになっては、私は悲しい限りだ。
何をすればいいんだ?何を考えたらいいんだ?
(「何を考えたらいいか、何を思ったらいいか」と書くのが、心から違和感を持っていた。考えることは個人の自由で、最低限の自由だ。気持ちまで強制されることはよからぬことだと思う。)
しかし、私にはなぜそんなことになったかがさっぱりわからないので、解決策を見つけるはずがないわけだ。
お母さんの気持ちがわからない。
どんな気持ちで私を助けているかを聞いたら、「布団の件もやはり私から切り出さないと解決しないって事ですよね。今月末迄に環境事業局に申し出で、来月第一水曜の朝家の角に出しますコンビニで処理費のチケットを500円だったと思いますが買って張ります。カレーは要らないんですね。悩みますと言うことで有れば悩まないでと言っても仕方ないのでー 私から聞きますがどう思われているか知ってどうされるんですか。扇風機の尋ねにも答えられていません。このメールから私がどう思っているかお分かりに成ると思います。」
私はどのように思って私のことを手伝って続けていたかを知りたかったが、それはいけないですか。
私はお母さんのことを、実お母さんと思っていたが、私のことを、息子のように叱って、成長させて、手伝っているか、それとも、人が大変だから、助けるのは自分にとって当然なことなのか。
私はそれが知りたかったのだ。
そのおくってきたメールに対する理解の仕方を述べとく。
①しっかりしてほしいが、やはりやらなければいけない。迷惑だ、自分でやれ。
②カレーは食べてほしいが、何で話にのらないのだ。
③自分のせいで、兪が悩んでほしくない。
④いっつもはっきりとした答えが来ないので、困っているのだ。
⑤私が起こっている。わからないのか?素直に助言に乗ればいいのに。
解決策を探すために、もっと深くお母さんと話さなければいけない。
しかし、たくさん話すと、お母さんに嫌われる。
これは、ジレンマですね。
自分が子供みたいに、お母さんを頼りにここまで来た。
お母さんがたくさんしてくれて、私ができる限りお母さんのためになって、いろいろ助けてあげたい。
パソコンが壊れた時に、自分ができることをすべてやりたい。
何か運ぶ時も、いろいろやってあげたい。
それでも恩が返せないのに、お母さんに嫌われて、「出てけー」と言われたら、しんで終おうと思ったわけだ。
別に私が弱い人で、助言に耐えられないわけでもない。
お母さんの気持ちを確かめたくて仕方がなかった。
私に普通の人として何も思っていないか、それとも私と同じように少し愛着が生じたのか。
私がお母さんと胡さんと精一杯話すときに、悲しくなるのはそれだけだ。お母さんが、半年ここに住んでいる胡さんと私に対して同じ態度をとっているということは、私は何の特別な意味も持っていなくて、ただここに居候している学生だ、と思っている可能性が大きかったからだ。
私が望んでいることは、お母さんと仲がよくて、助け合って、将来私もお母さんのためになるように約束ができるくらいまでなって、それなら、素直にいろいろな恩情を受け入れても、違和感と恥ずかしさが感じなくて、自分ありのままでいられる。しかし、今はそんなに恩を受けながら、お母さんに傷つけながら、ここでいることは、心理的にダメージを受けすぎて、このうちから出ようと真剣に考えていた。
決してそれが解決方法ではない。心理負担から逃げる道なのだ。
お母さんと仲直りもできなければ、自分が一生それを負担して、親しい人とあったら思い出して、親しく慣れない可能性まで考えられる。
お母さんが、私を一般の留学生と思って、日本の社会に適すことができなかったことがかわいそうだ、とでも思って、世話したのなら、私は悲しいけど、それを知ったらほっとする。お母さんが私のことを好きにしてくれていて、本心で助けたいのだったら、私は嬉しくて、ほっとする。どっちも私がほっとすることになる。
お母さんも私のことを気にして、話をしている。それが一番怖いのだ。それだと、お母さんが本当に考えていることが分からないのだ。私がほかの人の迷惑になっているから、アパートに住んでほしくないと思っているか;私が将来もっと良くなることを信じて、逆のこと言って、励ましてくれているか。わからないのだ。
それとも、私がお母さんにしたしくしようとすること自体が問題にあるのか。
お母さんがみんな平等で、世話はするが、誰とでも親しくなると、心に負担ができ、うまく平等で気持ちよく住ませることができないことが心配で、私のようなややこしい子を拒否しているのか?
わからないのだ。
もし、私がお母さんと仲良くすることと、私たちが気持よくここに住むことと、行き違い、相反のところがなければ、なぜ私のことで「驚いた」、「留学生=兪の応援をする度量がない」とでもいうのでしょうか?
何が起こったのか?
やはり誤解されているではないか?
私はやはり話すことにする!しなければ、ごまかして仲直りが可能ですが、結局解決しないまま、自分の身にある問題点も、誤解されるところもわからないので、私はそのほうが苦しく思う。
お母さん!ぜひ、お気持ちをお聞かせください!
良くしようとする時に、逆に相手に傷つくとことがある。
日本のお母さんが私にいろいろ注意して、いろいろ助けてくれて、私は謝るつもりで、いろいろ言ったが、お母さんに「注意の件で非常に驚く事ありで、留学生の方の受入の是非を考えさせられました。 亡くなった義父母主人は反対の意志が強いですが劉さん張さんと良い方が続き私に任された形なんですが。皆に気持ち良く住んで頂きたいだけです」と言われた。
何で!!なんでだ!
私は叫びたい気持ちだった。
なんでこんなことになろんだ。
私は個人の事情をお母さんに話したが、それが原因なら、悲しいです。親しくしたくて、幸せにしたくて、迷惑をかけたくないという思いやりだったけど、「今朝の件は何の問題も感じていませんが注意をすることが非常に重たく感じ始めていますもう後わずかな時間でしょうから気持ち良くお過し下さい。私の度量は日本人の学生さんを応援する位のものと自覚し始めています。」→これは、あなたの親しさが必要ではない、あなたの思いやりなんか、耐えられない。と言っている感じがしてしまう。
何で?
お母さんに何も交流しないときに、かわいそうに思われたか、大変と思われたか、いろいろ助けてくれた。
自分の本当の気持ちを言ったら、お母さんに理解されて、慰めてくれたり、理解してくれることを期待していたが、まったく逆のことが起こって、「あなたがここに住んではいけない」ことになっては、私は悲しい限りだ。
何をすればいいんだ?何を考えたらいいんだ?
(「何を考えたらいいか、何を思ったらいいか」と書くのが、心から違和感を持っていた。考えることは個人の自由で、最低限の自由だ。気持ちまで強制されることはよからぬことだと思う。)
しかし、私にはなぜそんなことになったかがさっぱりわからないので、解決策を見つけるはずがないわけだ。
お母さんの気持ちがわからない。
どんな気持ちで私を助けているかを聞いたら、「布団の件もやはり私から切り出さないと解決しないって事ですよね。今月末迄に環境事業局に申し出で、来月第一水曜の朝家の角に出しますコンビニで処理費のチケットを500円だったと思いますが買って張ります。カレーは要らないんですね。悩みますと言うことで有れば悩まないでと言っても仕方ないのでー 私から聞きますがどう思われているか知ってどうされるんですか。扇風機の尋ねにも答えられていません。このメールから私がどう思っているかお分かりに成ると思います。」
私はどのように思って私のことを手伝って続けていたかを知りたかったが、それはいけないですか。
私はお母さんのことを、実お母さんと思っていたが、私のことを、息子のように叱って、成長させて、手伝っているか、それとも、人が大変だから、助けるのは自分にとって当然なことなのか。
私はそれが知りたかったのだ。
そのおくってきたメールに対する理解の仕方を述べとく。
①しっかりしてほしいが、やはりやらなければいけない。迷惑だ、自分でやれ。
②カレーは食べてほしいが、何で話にのらないのだ。
③自分のせいで、兪が悩んでほしくない。
④いっつもはっきりとした答えが来ないので、困っているのだ。
⑤私が起こっている。わからないのか?素直に助言に乗ればいいのに。
解決策を探すために、もっと深くお母さんと話さなければいけない。
しかし、たくさん話すと、お母さんに嫌われる。
これは、ジレンマですね。
自分が子供みたいに、お母さんを頼りにここまで来た。
お母さんがたくさんしてくれて、私ができる限りお母さんのためになって、いろいろ助けてあげたい。
パソコンが壊れた時に、自分ができることをすべてやりたい。
何か運ぶ時も、いろいろやってあげたい。
それでも恩が返せないのに、お母さんに嫌われて、「出てけー」と言われたら、しんで終おうと思ったわけだ。
別に私が弱い人で、助言に耐えられないわけでもない。
お母さんの気持ちを確かめたくて仕方がなかった。
私に普通の人として何も思っていないか、それとも私と同じように少し愛着が生じたのか。
私がお母さんと胡さんと精一杯話すときに、悲しくなるのはそれだけだ。お母さんが、半年ここに住んでいる胡さんと私に対して同じ態度をとっているということは、私は何の特別な意味も持っていなくて、ただここに居候している学生だ、と思っている可能性が大きかったからだ。
私が望んでいることは、お母さんと仲がよくて、助け合って、将来私もお母さんのためになるように約束ができるくらいまでなって、それなら、素直にいろいろな恩情を受け入れても、違和感と恥ずかしさが感じなくて、自分ありのままでいられる。しかし、今はそんなに恩を受けながら、お母さんに傷つけながら、ここでいることは、心理的にダメージを受けすぎて、このうちから出ようと真剣に考えていた。
決してそれが解決方法ではない。心理負担から逃げる道なのだ。
お母さんと仲直りもできなければ、自分が一生それを負担して、親しい人とあったら思い出して、親しく慣れない可能性まで考えられる。
お母さんが、私を一般の留学生と思って、日本の社会に適すことができなかったことがかわいそうだ、とでも思って、世話したのなら、私は悲しいけど、それを知ったらほっとする。お母さんが私のことを好きにしてくれていて、本心で助けたいのだったら、私は嬉しくて、ほっとする。どっちも私がほっとすることになる。
お母さんも私のことを気にして、話をしている。それが一番怖いのだ。それだと、お母さんが本当に考えていることが分からないのだ。私がほかの人の迷惑になっているから、アパートに住んでほしくないと思っているか;私が将来もっと良くなることを信じて、逆のこと言って、励ましてくれているか。わからないのだ。
それとも、私がお母さんにしたしくしようとすること自体が問題にあるのか。
お母さんがみんな平等で、世話はするが、誰とでも親しくなると、心に負担ができ、うまく平等で気持ちよく住ませることができないことが心配で、私のようなややこしい子を拒否しているのか?
わからないのだ。
もし、私がお母さんと仲良くすることと、私たちが気持よくここに住むことと、行き違い、相反のところがなければ、なぜ私のことで「驚いた」、「留学生=兪の応援をする度量がない」とでもいうのでしょうか?
何が起こったのか?
やはり誤解されているではないか?
私はやはり話すことにする!しなければ、ごまかして仲直りが可能ですが、結局解決しないまま、自分の身にある問題点も、誤解されるところもわからないので、私はそのほうが苦しく思う。
お母さん!ぜひ、お気持ちをお聞かせください!
2007年6月27日水曜日
2007年6月24日日曜日
久しぶりに お母さんとチャット 理系vs.文系
お母さんと、会った。
インターネットで、7時間近く話した。
あまり意味にある話はしていなかったが、
少し自分の考え方が整理できる話はしていた。
なぜ、理系を選んだのか、なぜ、これから文系にすすむのか。
理系を選んだ理由は、文系を馬鹿にしていたから。
理系を勉強する人は、文系のこともわかる。しかし、文系を勉強する人は、理系を理解するのは、大変時間がかかる。私もずっと理系を勉強してきたので、理系の大変さが大変わかっていた。
自分が物理が得意だったので、物理工学を選んだわけである。物理学こそ、万物すべての原理で、何年たっても変わらないのだ。文系の主観的なものは、歴史でさえ、人によって、時間がたつにつれ、変わっていくものだ。
世界を推進させているのは、技術、科学革新であり、ばかばかしい評論家ではない。昼に夢を見ている文学者でもない。社会問題を解決しても、実際腹がいっぱいにならないし、使える生産資料にもならない。
科学を勉強することが、社会に役立ち一番いい方法というか、唯一の方法とみなしていた。
日本に来て以来、社会に入ってボランティアをし、ホームステイで日本の家庭生活を見、日本の社会の問題と国際関係、平和と貧困にも考えるようになったのだ。
日本で芸術家に会い、政治家に会い、フリーライターの人に会い、企業家の人に会い、校長先生に会い、社会各層にいる人々の働くブリを見てきた。さまざまなアルバイト、インターンを経験し、仕事現場の状況も見てきた。日本という国は、いろんなジレンマを抱えていながら、一人ひとりの中にある素晴らしい仕事に専念する精神と、見栄えを大事に視する風潮と重なり合い、民族のプライドということを実感していた。
社会に接する中でいろいろなショックを受け、勉強の必要性を感じていた。
日本で、社会学、文化学、心理学、経済学、経営学、教育、体育、音楽、デザインなどを勉強していた。学校の授業もあるし、独学で本を読んだのもあった。
私が社会の中で受け止めたいろいろなことを解釈していた社会科学であった。弁護士たちの弁論会の時の知識になり、世界情勢の講演会の内容を理解するきっかけとなり、社長さんの後輩に伝える言葉の深い意味を聞き知るための財産になったわけであった。
社会人になった先輩たちに逐一聞いていた。学校で勉強した知識がどの程度仕事に役立ったのかと。ほとんどの人から、10%以下の答えを受け取った。それでは、学校で勉強することがどれくらい覚えているのかと聞いたら、同じような答えだった。学校で勉強することのほとんどが将来忘れてしまうことが、確かなことだと思った。なら、学校にいる時間をもっと有意義に使って、覚えられる経験を積んだ方がいいではないかと思ったのだ。
Dreamgate、経産省、愛経協、ACCJ、JASSO、UNCRD、9条の会、連合愛知、そして文化交流に関する諸々のイベントに足を運び、自分にとって少しでもプラスになる経験を積んでいた。
学校では、もっとたくさんの友達ができるように努力していた。留学生会、留学生支援のサークルACE、中国人留学生学友会、日中友好協会の活動、日本語ボランティアにたくさん参加し、会った人と交流し、友達になり、そして、今は留学生支援のネットワークを立ち上げ、留学生全体の支援を図ろうとしている。
その中で、リーダーシップを発揮し、自分の経験を、社会価値に転換する仕組みを一生懸命考えていた。
しかし、私の知識、経験がまだまだ足りないことに気がついた。
どうしたらいいか。
社会に入ることを選んだわけであった。社会に入ったら、当然社会経験は急速に積むし、自分の会社の関連する業務も、何年後ベテランになるでしょう。
どんな会社に入ることを決めようとするときに迷った。どんな業界がいいでしょう。どんなスタイルの会社がいいでしょう。私が将来、社会貢献ができる社長になるために、社会の仕組みを「マトリックス」の中のレオと同じように知らなければいけない。そして、自分の信念、リーダーとしての人格が十分でなければいけない。
それを磨くことがどこでしょう。答えが分からずに、すべてを経験しようとした私が、もっと学校で勉強することを決めた。しかし、ずっと理系を勉強するのは、もう私にとって無理なことになってしまっていた。その数学の公式、物理学の公理、化学の方程式、生物学のあやふやな記述、昔の私にとって意味が大変変わって、社会の仕組みの理解の上に勉強しないと、私にとって意味が持たないただの文字列にしか見えなくなっていた。
私は博打がやらない。博打は絶望の人がかすかな希望に向かって心の叫びか、大金持ちの社会価値の無駄遣いかである。私は理性的な儲け方をしたい。世界のエリートの名簿をのぞいたら、一生科学者でいる人が少ない。私は、科学発見のことを、センスの磨きの努力に運がいることと見ている。私にとってばくちと同じだ。エリートを日本社会で見ると、まずはお医者さん(分野によって、開業かどうかによって)、そして企業家の優秀な人たちであった。地域でいえば、東京のような大都市が多くて、農村には少ない。私が尊敬している小舅に、「理系の人が細部を見つめすぎ」、「右脳の発達が進んでない」ことが示された。
確かに、私はずっと理系な考え方で、自分の将来の全体図(画家の輪郭図)を描くことがなかった。ぼやけた感じで行ってもいいと思っていたか、そもそもそのことを頭に置いていなかった。どんなルートで勉強するか、どんなルートで人格を磨くか、人生にどんな目標が実現させたいか、人生の頂点の模様は何だろうか。これらの問題は、ずっと答えていなかったのだ。
人間が完璧なことができない。いくつかの選択肢から、選んで、ひとつに専念してやらないと、必ず失敗する。私は、余地なく社会科学を勉強することを選んだ。決める時、エネルギーがたくさんいたが。
なぜかというと、私は貴族になりたいのだ、私はお母さんを貴族のお母さんにしたいのだ。お父さんに私の成功を見せて、心から笑ってほしいのだ。
私の心を和らげ、毎日を冒険にし、賢くて問題の解決に向かって頑張る妻と、2人か3人の子供がほしい。大きなモデンなおうちに住みたい。それも芸術にあふれて、新世代の貴族を象徴するようなものでなければならない。そのうちから、自然が見える。そのうちが、自然である。春はあったかい風、夏は青々とした芝生、秋に真っ青な空、冬に真白な雪に包まれ、私の霊感を激励し、私を安らがせる場所となる。朝早く起きて、新しい朝日と新しい人生の可能性に向かって、温かいコーヒーを飲み、ジョギングして、アシスタントの人に大事なニュースとスケジュールを読んでもらう。そして、お風呂に入り、仕事の準備をし、妻と子供に挨拶、愛していることを言い表す。そして大事な友達と仕事のパートナーと連絡し、考えていることと情報を交換する。そして仕事場に向かい、仕事に集中する。昼ごはんは会社で食べて、社員の働く気持ちを聞き、自ら解決を向かって進める。午後は、仕事を部下に知らせ、簡単な報告を聞く。そして仕事場から役所、宴会場、美術館、科学展覧会、映画の試写会などに見物、大物と会談。そしてボランティアの仕事をする。社会をもっと良くするには、どんな努力が必要かを考え、自ら実行する。夜ごはんは妻と子供を連れて、港で海を見ながら食べたり、劇かスポーツを見てすぐそとのレストランで食べたり、自宅で気持ちいい話をしながら妻の手料理を味わったり。その後水泳か、テニスか、トレニングをし、汗かいて、温泉に入って、気持ちよく寝る。
週末は私が隣人のうちに訪問したり、地域のリーダーとして勤めたり、自分ができることを尽くして、尊敬できる人になりたい。そして、お母さんとお父さんを連れて、世界遺産を見物し、たくさんの写真を見たり、古い写真を見て、なつかしき古い物語を語りなおす。また、子供連れて博物館に行ったり、国会に行ったり、飛行機組み立て場に行ったり、有名な作家のうち訪ねたりしたい。そして半日、夜まで妻とロマンチックな時間を過ごしたい。花、月光、クラッシック音楽、愛のキス、きれいな服を着て、愛を刻む場所を次々と増やしたい。
子供を最高の教育を受けさせたい。彼らに命と社会の大切さを知らせ、生きることに感謝することと、奉仕の精神、そして好奇心とロイヤルな心を持たせ、社会を経験させ、悪いことを彼ら自ら認識でき、すべてを責任を持って、楽しく過ごせることを目指す。
妻には、センスと私のビジョンの理解を求める。一緒に生活することは、一緒に戦う戦友と、一緒にゲームをするプレーヤと同じ。総指揮、監督などがいないので、お互いを理解し、お互いを適度に愛することが求められる。お互いに、生きる甲斐になるのが最高なものだ。
両親には、世界各国に旅行させたい、両親の実現できなかった夢を実現させたい。
最初から私は奉仕をする。より多くの人への奉仕するために、私は自分の知識を豊かにし、生活をよくし、自分の自己実現を高める。そして、社会に適したスタイルで社会貢献をすることを求める。今は会社を創立し、組織で社会貢献が一番効率が良くて、生産性がいいし、人々に受け入れられやすい。なので私はMBAを取ろうと思っていた。リーダーシップの発揮、自分に必要な素質、身に付くための練習、生産活動の意味、人間として働く意味、世界の構造、世界のエリートの所在、世界の人々の行動など。これらを勉強することに一番適した場は、MBAコースであった。周りのみんなが、私にアメリカのMBAコースをすすめてくれた。しかし、私は日本でそれを取りたい。私は日本という国に恋をしている。日本で私は人生の方向を決めた。それに、私は日本と中国の産業の未来のつながりを強く信じている。今は外交の面でいろいろ難しいことがあるが、私は努力して、日本と中国の間に、EUみたいな国の間の絆を作りたいのだ。日本と中国の何千年の友好国交の歴史があって、日本の一番古い歴史が中国の本から発見されたことまで、両国のつながりが深かったのだ。中国と日本は昔の時、EUよりも強いきずながあった。私は両国の人民、政治家がアメリカのような野望のある超大国とか、世界を分裂させたい左派、右派の望むがままに対立させられることを許せない。
その担い手になるのに、私は日本の社会を勉強しなければいけない。わずか4年の月日が、社会を理解することに物足りない。社会のエリートと知り合っていないし、日本で根をはっていない。こんなに僕を魅了する国は、まだまだ発現が待たせることが多くある。
「一回日本人になりきって」という小舅の助言だった。
日本では、中国と日本の社会、ビジネスモデルを詳しく知っている人材を緊急に求めている。そのニーズに答えようとして、私自身がその人材になる。もちろん、理系の背景は絶対無意味ではありません。産業を理解するのに、技術の発展を理解する必要はあるし、研究者の気持ちを理解する必要もある。そして、理系の勉強は私にいろいろな将来の社会に対する夢を与えてくれた。飛ぶ車とか、脳の中のパソコンとか、生物機械とか。これらも私の前進する動力になる。
理系が知っていてこそ、社会のニーズを知ろうとしていた。工学部生の使命は、科学を産業に運用する役割であり、私はその役割を果たし続けるでしょう。MBAを勉強するときに、東京を理解し、東京の友達を作り、自分をエリートたちの中に混じり、その中新たな自分が見つけることを願っている。
頂点に立つことがない人には、麓の景色を評価する資格がない。
これは私の言葉だ。
その頂点に立て、世界を見下ろし、そして世界の中の普通の一人として頑張って、みんなが幸せになるように努力したい。
インターネットで、7時間近く話した。
あまり意味にある話はしていなかったが、
少し自分の考え方が整理できる話はしていた。
なぜ、理系を選んだのか、なぜ、これから文系にすすむのか。
理系を選んだ理由は、文系を馬鹿にしていたから。
理系を勉強する人は、文系のこともわかる。しかし、文系を勉強する人は、理系を理解するのは、大変時間がかかる。私もずっと理系を勉強してきたので、理系の大変さが大変わかっていた。
自分が物理が得意だったので、物理工学を選んだわけである。物理学こそ、万物すべての原理で、何年たっても変わらないのだ。文系の主観的なものは、歴史でさえ、人によって、時間がたつにつれ、変わっていくものだ。
世界を推進させているのは、技術、科学革新であり、ばかばかしい評論家ではない。昼に夢を見ている文学者でもない。社会問題を解決しても、実際腹がいっぱいにならないし、使える生産資料にもならない。
科学を勉強することが、社会に役立ち一番いい方法というか、唯一の方法とみなしていた。
日本に来て以来、社会に入ってボランティアをし、ホームステイで日本の家庭生活を見、日本の社会の問題と国際関係、平和と貧困にも考えるようになったのだ。
日本で芸術家に会い、政治家に会い、フリーライターの人に会い、企業家の人に会い、校長先生に会い、社会各層にいる人々の働くブリを見てきた。さまざまなアルバイト、インターンを経験し、仕事現場の状況も見てきた。日本という国は、いろんなジレンマを抱えていながら、一人ひとりの中にある素晴らしい仕事に専念する精神と、見栄えを大事に視する風潮と重なり合い、民族のプライドということを実感していた。
| (自分が中国人で、中国のことをあまりにも国際の視点から見ることを重視していなかったことが、自分にとってショックだった。中国の人々は日本に負けない、伝統と文明をもち、勉強好きの民族なのだ。私は、日本で一人の中国人として、勉強し、仕事をし、将来自分の夢を実現し、その間にずっと日本人のように、自分の故郷の伝統の精神を、徹底できるようにしたい。自分はかつて、自分が中国人であることにプライドを持っていたことが少なかったことに恥ずかしく思う。) |
| 中国人として、中国の社会と日本の社会、中国の文化と日本の文化の違い、中国語でさえはっきりと理解し、自分の意見を持っていなかった。 |
| 自分のことを見つめて、分析したこともなくて、友達関係、家族関係が自分にとってどんな意味なのか、自分が社会にとってどんな意味を持っているか、自分がどんな人を目指しているかでさえ、しっかりと考えることもなかった。 |
日本で、社会学、文化学、心理学、経済学、経営学、教育、体育、音楽、デザインなどを勉強していた。学校の授業もあるし、独学で本を読んだのもあった。
私が社会の中で受け止めたいろいろなことを解釈していた社会科学であった。弁護士たちの弁論会の時の知識になり、世界情勢の講演会の内容を理解するきっかけとなり、社長さんの後輩に伝える言葉の深い意味を聞き知るための財産になったわけであった。
社会人になった先輩たちに逐一聞いていた。学校で勉強した知識がどの程度仕事に役立ったのかと。ほとんどの人から、10%以下の答えを受け取った。それでは、学校で勉強することがどれくらい覚えているのかと聞いたら、同じような答えだった。学校で勉強することのほとんどが将来忘れてしまうことが、確かなことだと思った。なら、学校にいる時間をもっと有意義に使って、覚えられる経験を積んだ方がいいではないかと思ったのだ。
Dreamgate、経産省、愛経協、ACCJ、JASSO、UNCRD、9条の会、連合愛知、そして文化交流に関する諸々のイベントに足を運び、自分にとって少しでもプラスになる経験を積んでいた。
学校では、もっとたくさんの友達ができるように努力していた。留学生会、留学生支援のサークルACE、中国人留学生学友会、日中友好協会の活動、日本語ボランティアにたくさん参加し、会った人と交流し、友達になり、そして、今は留学生支援のネットワークを立ち上げ、留学生全体の支援を図ろうとしている。
その中で、リーダーシップを発揮し、自分の経験を、社会価値に転換する仕組みを一生懸命考えていた。
しかし、私の知識、経験がまだまだ足りないことに気がついた。
どうしたらいいか。
社会に入ることを選んだわけであった。社会に入ったら、当然社会経験は急速に積むし、自分の会社の関連する業務も、何年後ベテランになるでしょう。
どんな会社に入ることを決めようとするときに迷った。どんな業界がいいでしょう。どんなスタイルの会社がいいでしょう。私が将来、社会貢献ができる社長になるために、社会の仕組みを「マトリックス」の中のレオと同じように知らなければいけない。そして、自分の信念、リーダーとしての人格が十分でなければいけない。
それを磨くことがどこでしょう。答えが分からずに、すべてを経験しようとした私が、もっと学校で勉強することを決めた。しかし、ずっと理系を勉強するのは、もう私にとって無理なことになってしまっていた。その数学の公式、物理学の公理、化学の方程式、生物学のあやふやな記述、昔の私にとって意味が大変変わって、社会の仕組みの理解の上に勉強しないと、私にとって意味が持たないただの文字列にしか見えなくなっていた。
私は博打がやらない。博打は絶望の人がかすかな希望に向かって心の叫びか、大金持ちの社会価値の無駄遣いかである。私は理性的な儲け方をしたい。世界のエリートの名簿をのぞいたら、一生科学者でいる人が少ない。私は、科学発見のことを、センスの磨きの努力に運がいることと見ている。私にとってばくちと同じだ。エリートを日本社会で見ると、まずはお医者さん(分野によって、開業かどうかによって)、そして企業家の優秀な人たちであった。地域でいえば、東京のような大都市が多くて、農村には少ない。私が尊敬している小舅に、「理系の人が細部を見つめすぎ」、「右脳の発達が進んでない」ことが示された。
確かに、私はずっと理系な考え方で、自分の将来の全体図(画家の輪郭図)を描くことがなかった。ぼやけた感じで行ってもいいと思っていたか、そもそもそのことを頭に置いていなかった。どんなルートで勉強するか、どんなルートで人格を磨くか、人生にどんな目標が実現させたいか、人生の頂点の模様は何だろうか。これらの問題は、ずっと答えていなかったのだ。
人間が完璧なことができない。いくつかの選択肢から、選んで、ひとつに専念してやらないと、必ず失敗する。私は、余地なく社会科学を勉強することを選んだ。決める時、エネルギーがたくさんいたが。
なぜかというと、私は貴族になりたいのだ、私はお母さんを貴族のお母さんにしたいのだ。お父さんに私の成功を見せて、心から笑ってほしいのだ。
私の心を和らげ、毎日を冒険にし、賢くて問題の解決に向かって頑張る妻と、2人か3人の子供がほしい。大きなモデンなおうちに住みたい。それも芸術にあふれて、新世代の貴族を象徴するようなものでなければならない。そのうちから、自然が見える。そのうちが、自然である。春はあったかい風、夏は青々とした芝生、秋に真っ青な空、冬に真白な雪に包まれ、私の霊感を激励し、私を安らがせる場所となる。朝早く起きて、新しい朝日と新しい人生の可能性に向かって、温かいコーヒーを飲み、ジョギングして、アシスタントの人に大事なニュースとスケジュールを読んでもらう。そして、お風呂に入り、仕事の準備をし、妻と子供に挨拶、愛していることを言い表す。そして大事な友達と仕事のパートナーと連絡し、考えていることと情報を交換する。そして仕事場に向かい、仕事に集中する。昼ごはんは会社で食べて、社員の働く気持ちを聞き、自ら解決を向かって進める。午後は、仕事を部下に知らせ、簡単な報告を聞く。そして仕事場から役所、宴会場、美術館、科学展覧会、映画の試写会などに見物、大物と会談。そしてボランティアの仕事をする。社会をもっと良くするには、どんな努力が必要かを考え、自ら実行する。夜ごはんは妻と子供を連れて、港で海を見ながら食べたり、劇かスポーツを見てすぐそとのレストランで食べたり、自宅で気持ちいい話をしながら妻の手料理を味わったり。その後水泳か、テニスか、トレニングをし、汗かいて、温泉に入って、気持ちよく寝る。
週末は私が隣人のうちに訪問したり、地域のリーダーとして勤めたり、自分ができることを尽くして、尊敬できる人になりたい。そして、お母さんとお父さんを連れて、世界遺産を見物し、たくさんの写真を見たり、古い写真を見て、なつかしき古い物語を語りなおす。また、子供連れて博物館に行ったり、国会に行ったり、飛行機組み立て場に行ったり、有名な作家のうち訪ねたりしたい。そして半日、夜まで妻とロマンチックな時間を過ごしたい。花、月光、クラッシック音楽、愛のキス、きれいな服を着て、愛を刻む場所を次々と増やしたい。
子供を最高の教育を受けさせたい。彼らに命と社会の大切さを知らせ、生きることに感謝することと、奉仕の精神、そして好奇心とロイヤルな心を持たせ、社会を経験させ、悪いことを彼ら自ら認識でき、すべてを責任を持って、楽しく過ごせることを目指す。
妻には、センスと私のビジョンの理解を求める。一緒に生活することは、一緒に戦う戦友と、一緒にゲームをするプレーヤと同じ。総指揮、監督などがいないので、お互いを理解し、お互いを適度に愛することが求められる。お互いに、生きる甲斐になるのが最高なものだ。
両親には、世界各国に旅行させたい、両親の実現できなかった夢を実現させたい。
最初から私は奉仕をする。より多くの人への奉仕するために、私は自分の知識を豊かにし、生活をよくし、自分の自己実現を高める。そして、社会に適したスタイルで社会貢献をすることを求める。今は会社を創立し、組織で社会貢献が一番効率が良くて、生産性がいいし、人々に受け入れられやすい。なので私はMBAを取ろうと思っていた。リーダーシップの発揮、自分に必要な素質、身に付くための練習、生産活動の意味、人間として働く意味、世界の構造、世界のエリートの所在、世界の人々の行動など。これらを勉強することに一番適した場は、MBAコースであった。周りのみんなが、私にアメリカのMBAコースをすすめてくれた。しかし、私は日本でそれを取りたい。私は日本という国に恋をしている。日本で私は人生の方向を決めた。それに、私は日本と中国の産業の未来のつながりを強く信じている。今は外交の面でいろいろ難しいことがあるが、私は努力して、日本と中国の間に、EUみたいな国の間の絆を作りたいのだ。日本と中国の何千年の友好国交の歴史があって、日本の一番古い歴史が中国の本から発見されたことまで、両国のつながりが深かったのだ。中国と日本は昔の時、EUよりも強いきずながあった。私は両国の人民、政治家がアメリカのような野望のある超大国とか、世界を分裂させたい左派、右派の望むがままに対立させられることを許せない。
その担い手になるのに、私は日本の社会を勉強しなければいけない。わずか4年の月日が、社会を理解することに物足りない。社会のエリートと知り合っていないし、日本で根をはっていない。こんなに僕を魅了する国は、まだまだ発現が待たせることが多くある。
「一回日本人になりきって」という小舅の助言だった。
日本では、中国と日本の社会、ビジネスモデルを詳しく知っている人材を緊急に求めている。そのニーズに答えようとして、私自身がその人材になる。もちろん、理系の背景は絶対無意味ではありません。産業を理解するのに、技術の発展を理解する必要はあるし、研究者の気持ちを理解する必要もある。そして、理系の勉強は私にいろいろな将来の社会に対する夢を与えてくれた。飛ぶ車とか、脳の中のパソコンとか、生物機械とか。これらも私の前進する動力になる。
理系が知っていてこそ、社会のニーズを知ろうとしていた。工学部生の使命は、科学を産業に運用する役割であり、私はその役割を果たし続けるでしょう。MBAを勉強するときに、東京を理解し、東京の友達を作り、自分をエリートたちの中に混じり、その中新たな自分が見つけることを願っている。
頂点に立つことがない人には、麓の景色を評価する資格がない。
これは私の言葉だ。
その頂点に立て、世界を見下ろし、そして世界の中の普通の一人として頑張って、みんなが幸せになるように努力したい。
2007年6月23日土曜日
ごめんなさい! 北川さん 日本のお母さん
もう、こんなに悲しい話、書かないと思ったが、
やめるのが無理だった。
今日は一日考え込んで、自分が利害関係にある時に、
何かうまく中国のお母さんを忘れて、新しい自分になれる方法があるかなと。
なかったのだ。
どう探しても見つからなかったのだ。
私がお母さんになっていた。
きっと、遠いふるさとにいるお母さんが知っていたら、悲しいだろう。
しかし、私はどうしようもなかったのだ。
人間の弱さをもう一度知っていた。
死を思う時に、本当にできるもんだ。
「矛盾の中から新しいアイディアを生み出す」ことが素晴しいリーダーの素質であると、ハーバードビジネスレビューに書かれていた。しかし、矛盾があって、抜け出せない人々がいて、彼らはこの世、一番不幸な人ではないでしょうか?
私は自分が悩むことができることを幸せだと、大学1年生の時から、真剣に思っていた。
しかし、日本のお母さんに、「悩みますと言うことで有れば悩まないでと言っても仕方ないのでー」と言われた。彼女は私に悩まないでほしかった。
何年たっても、寝る時間を守らなくて、約束の時間も守られない人でいたくなかったのだ。
もっと自分とよく付き合って、自然な生活を送りたかったのだ。
中国のお母さんの愛されるジレンマの影の中にもがくようなことがしたくなかったのだ。
そして、いつも日本のお母さんに迷惑をかけっぱなしで、悪いと思うし、何もためになっていないのに、いつも物、ご飯ばかり貰った。その時に何を言えばいいでしょう。日本語がうまくないから、お世辞も言えないし、進んで自分の考え方さえどうなっているか分からなくなった。
そのうち、物を貰うことが当たり前と思ってしまって、自分が本当の息子になったと感じていた。それが原因なのかな、胡さんを妬いてたのは。自分が唯一だったが、胡さんも同じようになったのは、受け入れられなかったかもしれない。
何も考えていないで、お母さんの恩恵を貰いっぱなしでいた。
しかし、今中国のお母さんのことを思い出したら、まったく同じなのだった。
中国のお母さんに心配させたくない、負担をかけたくない、幸せにさせたい思いやりが、ここで同じ作用を発揮した。
カレーは食べたくないのではなくて、食べたら自分がもっと悲しくなるからだった。
扇風機も、布団もそうだった。
誰かが私にやさしくすると、逆に私が悲しくて泣いてしまう。
実の話をいうと、私は確かに逃げ回っていた。
布団は、冬で寒いから使いたいけど、部屋の中に置くのが邪魔だったから、私は寒さに強いし、処分してもいいと思っていた。ずっと「どこかに預かってもらってもいいですか」と聞くのを迷っていた。迷惑をかけてしまうから。
しかし、いつも面倒をみてくれているお母さんなら、出来るじゃないかと思いました。その後、メールでこだわられてしまった。どうしたらいい?どうすればいい?焦った私は、逃げる道をわざとではないけれども、選んでしまったのだ。「そのまま言わなければ、忘れるかもしれないでは?」と。
逆にお母さんに怒鳴られた。
私は、「単純に素直に忠告を受けて頂けると私も助かりますが」と言われることになってしまった。
今になって、できないのだ。
許してください。
私の中の、中国のお母さんのためにも。
私をややこしい子と思うかもしれない、
私を思いやりのない、助けることが難しい子と思うかもしれない。
私は、我が儘で、お母さんに頼る子になりたくないのだ。
私は、自分の力で、お母さんを幸せにしたいのだ!!
何もできなくて、こそどろのことしか今はできない私は、悔しくて、しにたくて。
死んだら、またお母さんが悲しいし、いろいろ処理が面倒だろう。
そのために、お母さんの身に何かあったらいけないし。
死にはしません。
「私ができること」の少なさに、自分でも驚く。
「優秀」と言われたことがあるが、私はちっとも優秀ではないのだ。
社会が怖くて、学校から出たくない私には、何かを言う権利があるのか。
授業も出なくて、単位を落とし、卒業が順調になるかどうかも心配な私に、優秀といわれる権利があるのか。
もともと、一生懸命がんばったら、中国の一流の大学にも行けたのに、遊びばかりで、段々通う学校のランクも落ちて、日本の大学に行く、当時の下の選択肢に選ばざるを得なかった私には、お母さんを幸せにさせることができるのだろうか!
私に、夢があった。
その夢も、お母さんのためにもったのかもしれない。
お母さんは、私が優秀と認めてくれた;私がやりたいことをいつも励ましてくれたから。
私の人生の中に、友達も、彼女も、親戚も、存在の意味が薄かった。
お母さんが私の一番大事な人だった。
そうなることがよくないかもしれないが、逃げられない運命だった。
やめるのが無理だった。
今日は一日考え込んで、自分が利害関係にある時に、
何かうまく中国のお母さんを忘れて、新しい自分になれる方法があるかなと。
なかったのだ。
どう探しても見つからなかったのだ。
私がお母さんになっていた。
きっと、遠いふるさとにいるお母さんが知っていたら、悲しいだろう。
しかし、私はどうしようもなかったのだ。
人間の弱さをもう一度知っていた。
死を思う時に、本当にできるもんだ。
「矛盾の中から新しいアイディアを生み出す」ことが素晴しいリーダーの素質であると、ハーバードビジネスレビューに書かれていた。しかし、矛盾があって、抜け出せない人々がいて、彼らはこの世、一番不幸な人ではないでしょうか?
私は自分が悩むことができることを幸せだと、大学1年生の時から、真剣に思っていた。
しかし、日本のお母さんに、「悩みますと言うことで有れば悩まないでと言っても仕方ないのでー」と言われた。彼女は私に悩まないでほしかった。
何年たっても、寝る時間を守らなくて、約束の時間も守られない人でいたくなかったのだ。
もっと自分とよく付き合って、自然な生活を送りたかったのだ。
中国のお母さんの愛されるジレンマの影の中にもがくようなことがしたくなかったのだ。
そして、いつも日本のお母さんに迷惑をかけっぱなしで、悪いと思うし、何もためになっていないのに、いつも物、ご飯ばかり貰った。その時に何を言えばいいでしょう。日本語がうまくないから、お世辞も言えないし、進んで自分の考え方さえどうなっているか分からなくなった。
そのうち、物を貰うことが当たり前と思ってしまって、自分が本当の息子になったと感じていた。それが原因なのかな、胡さんを妬いてたのは。自分が唯一だったが、胡さんも同じようになったのは、受け入れられなかったかもしれない。
何も考えていないで、お母さんの恩恵を貰いっぱなしでいた。
しかし、今中国のお母さんのことを思い出したら、まったく同じなのだった。
中国のお母さんに心配させたくない、負担をかけたくない、幸せにさせたい思いやりが、ここで同じ作用を発揮した。
カレーは食べたくないのではなくて、食べたら自分がもっと悲しくなるからだった。
扇風機も、布団もそうだった。
誰かが私にやさしくすると、逆に私が悲しくて泣いてしまう。
実の話をいうと、私は確かに逃げ回っていた。
布団は、冬で寒いから使いたいけど、部屋の中に置くのが邪魔だったから、私は寒さに強いし、処分してもいいと思っていた。ずっと「どこかに預かってもらってもいいですか」と聞くのを迷っていた。迷惑をかけてしまうから。
しかし、いつも面倒をみてくれているお母さんなら、出来るじゃないかと思いました。その後、メールでこだわられてしまった。どうしたらいい?どうすればいい?焦った私は、逃げる道をわざとではないけれども、選んでしまったのだ。「そのまま言わなければ、忘れるかもしれないでは?」と。
逆にお母さんに怒鳴られた。
私は、「単純に素直に忠告を受けて頂けると私も助かりますが」と言われることになってしまった。
今になって、できないのだ。
許してください。
私の中の、中国のお母さんのためにも。
私をややこしい子と思うかもしれない、
私を思いやりのない、助けることが難しい子と思うかもしれない。
私は、我が儘で、お母さんに頼る子になりたくないのだ。
私は、自分の力で、お母さんを幸せにしたいのだ!!
何もできなくて、こそどろのことしか今はできない私は、悔しくて、しにたくて。
死んだら、またお母さんが悲しいし、いろいろ処理が面倒だろう。
そのために、お母さんの身に何かあったらいけないし。
死にはしません。
「私ができること」の少なさに、自分でも驚く。
「優秀」と言われたことがあるが、私はちっとも優秀ではないのだ。
社会が怖くて、学校から出たくない私には、何かを言う権利があるのか。
授業も出なくて、単位を落とし、卒業が順調になるかどうかも心配な私に、優秀といわれる権利があるのか。
もともと、一生懸命がんばったら、中国の一流の大学にも行けたのに、遊びばかりで、段々通う学校のランクも落ちて、日本の大学に行く、当時の下の選択肢に選ばざるを得なかった私には、お母さんを幸せにさせることができるのだろうか!
私に、夢があった。
その夢も、お母さんのためにもったのかもしれない。
お母さんは、私が優秀と認めてくれた;私がやりたいことをいつも励ましてくれたから。
私の人生の中に、友達も、彼女も、親戚も、存在の意味が薄かった。
お母さんが私の一番大事な人だった。
そうなることがよくないかもしれないが、逃げられない運命だった。
RE: Re>反省です
お母さん、大変申し訳ございません。気がついたら、ずいぶんわがまましていました。小さい頃からあまりわがままができなかったかな(^^)。どうしてもお中国の母さんを幸せにさせたい気持ちが、自分の弱さより変形し、ゆがんだ自責の気持ちになっていました。アルバイトをしていなくて、お金を使うことに罪悪感を持っていました。 自分がみんなのお金使ってもいいという考え方が持っていません。だって私もいつもボランティアをしていて、人を助けることが好きだった。しかしひそかにどうしてもずるいことをしてしまいます。 自分の気持ちに正直でいようと頑張ります、これから自分とよく付き合います。
そうだ、ブログに一点追加です。なぜ夜遅くまでパソコンをしていたのか。それは、一日自分を責めた後の「ご褒美」だったのです。どうしても必要だったのです。そして長くやらないと気がすまなかったことも説明がつきます。
やっぱり心理の病気ですね。これは簡単に治るのかな?
わたしの夢 -お母さん 偉大なる母親
今週は、プレッシャーが大きかったのだ。
大学院、自分の将来、研究室、生物、自己管理、時間。
いろんな要素がご茶になって、整理しても整理しきれなかったのだ。
そして、大家さんの北川さんに言われた。
「悪いですが共有の意識をお持ち下さいね。npoにも必要な事項だと思います。先ずは老婆心まで。」
「重い物を吊すのは危ないし大変な修理に成りますので止めてください。」
「昨日と今日のメールお読み頂けましたか、冷凍室を皆で使って頂く為ペツトは 2本位にしてくださいとお願いしたのに4本にされていてお願いは聞いて頂けないんでしょうか、天井の件も無視して使われるつもりでしょうか、少し不誠実な態度に悲しいです。専用住宅でお住まい頂いたほうが良いかもしれませんね。精一杯出来る事している積もりですが通じないとしたら悲しい限りです。 」
こう言うメールを返信しました。
「お母さん!大変申し訳ございませんでした!!メール読んでいなかったです。本当に今読みましたので、信じてください。私は無視するつもりはありません。メールを見ることに怠けました。いまペットボトルも出しました、天井のペットボトルもおろしました。ずっと前から、私は自分が自分のことしか考えていないことが分かっていました。直そうといつも思っています。時間に関して遅れることもしょっちゅうありますが、それもいつも直したいと思っていました。しかし、「少ない資源でたくさんのことができる方がいい」、「少ない時間でたくさんのことができる方が賢い」と昔の価値観変わらなかった。それは今でもそう思っているからです。なかなか直せないんですね。私はどうしたらいいでしょう???私は…この社会になれなくて、しんでしまうでしょうか。
胡さんに対しても最近冷めた態度をとっています。彼はいつもバイクと車で自慢してばかりで、私のことに賛成しないし、彼は北川さんといたら、私は話さえできなくて、自分は彼より人間関係ができていないし、面白くないことが分かっていますが、どうしても妬いてしまうのです。自分でも話したいと思って、一生懸命話したことがありますが、どうも自分らしくなくて。いつも避けようと思いましたが、気持ちがもやもやしてすっきりになれない。私、ダメな子でしょうか。
長いメールで申し訳ございません!どうかここに居させてください。 兪子豊」
本音です。
人間は自分ができないことが評価されることに恐怖感を抱いています。
特に愛している人、尊敬している人に。
天井に取り付けたばかりのひもとフックを取り外したとき、泣いていた。
抑えきれない感情が私の中から湧き出し、我慢しても、我慢しても仕方がなかったわけだ。
もともと自分はこんな賢い考え方があって、電気代も使わずに、クーラーじゃなく自然の風で体を冷やせるとお母さんに見せたら、喜ばれるだろう。今はそんなことを話したら、悲しまれるだけだけどね。
私は今まで自分の犯罪の訳が分からなかったが、少しわかったような気がしてきた。
なぜお「父さんが厳しい」という話をすると、涙が出てしまうか;なぜ辛くても、お金、ご飯を無駄にしたくないのか;なぜ勉強してなかった日に、自分をひどく責めるのか;なぜ人の目に気にしなくて、ダサい服を着ても、穴があいた靴下をはいても、屈辱に思わないのか;なぜずるをしてタイムカードを帰る時間より遅くおすのか;なぜ危険な状況に身をおいても、大胆でいられたのか;なぜ、人は私の才能を否定したときに、しにそうに苦しいのか。
すべてが読めた。
お母さんの私のための犠牲です。
お母さんは、自分のためにお金も使わなくて、布がダメになって、縫い繕うことができないまで着続けていた。お母さんは、シャレしたこともなくて、親戚から貰った香水、何十年たってもそのまま置いていた。自分が大事にしている玉のネックレスを私にくれて、「日本でお世話になった人に送って、私は使わないから」といった。トイレは自動に水が流れなくて、いつも隣で洗濯、洗面で使った汚い水をおいて、それでトイレを流していた。引っ越しも、独りで自転車で何十回も往復して、重い荷物を運んでいた。電車代使わなくて、いつも自転車で通勤していた。冬の大雪の時さえ。
私は塾で、成績が落ちたら、私を乗せて自転車に乗りながら、泣いていた。お父さんが私を叩いていたとき、お母さんは私を守って、お父さんとけんかしてから、ひとりで泣いていた。私は日本に行く前に、何か特技を勉強したいと、お母さんに連絡を頼んでいた。そして、また何日後聞いたら、お母さんはまだ見つかっていないと、そして私が怒っていた、なぜできないのかと。今考えたら、ひたすらわがままだった。しかしその時に、お母さんは泣き出した。「あなたのためになにもできなかった。私はだめなお母さんだ。ううう」私は呆れて唖然とした。こんなにお母さんが僕のことを愛してくれているのに、なぜ私はお母さんとけんかするのだと。二人で大泣きをしていた。その日、私は一生忘れないでしょう。
お母さんは、私を才能を認め続けていた。私がユニークであることをいつも認め、私は将来偉くなることを信じ続けていた。私がパソコンをいじると、お父さんに叱られるが、お母さんが背後で支持し続けていた。そして、私がいつも平安で、無事で、幸せな生活が送られると願い続けていた。
お母さんのことは、私しかわからないでしょう。いいや、私でも分かっていないはずだ。お母さんは、すべてを自分で担い、すべてをひとりで負い続けていた。
私はお母さん抜きで一人の人間になれない。私がやったすべてが、潜在意識的にお母さんを喜ばせ、お母さんの荷物を分担することだった。
私がほかの子より大人っぽいことと、パソコンが上手なことも、そこから来たのだ。
その私が、日本に来て、日本の社会に適することができる人間になろうとしている。
それは私のお母さんとのつながり、私の悪い習慣を切ろうをしている。
私は逃げようとしても、逃げられない運命であった。
大学院、自分の将来、研究室、生物、自己管理、時間。
いろんな要素がご茶になって、整理しても整理しきれなかったのだ。
そして、大家さんの北川さんに言われた。
「悪いですが共有の意識をお持ち下さいね。npoにも必要な事項だと思います。先ずは老婆心まで。」
「重い物を吊すのは危ないし大変な修理に成りますので止めてください。」
「昨日と今日のメールお読み頂けましたか、冷凍室を皆で使って頂く為ペツトは 2本位にしてくださいとお願いしたのに4本にされていてお願いは聞いて頂けないんでしょうか、天井の件も無視して使われるつもりでしょうか、少し不誠実な態度に悲しいです。専用住宅でお住まい頂いたほうが良いかもしれませんね。精一杯出来る事している積もりですが通じないとしたら悲しい限りです。 」
こう言うメールを返信しました。
「お母さん!大変申し訳ございませんでした!!メール読んでいなかったです。本当に今読みましたので、信じてください。私は無視するつもりはありません。メールを見ることに怠けました。いまペットボトルも出しました、天井のペットボトルもおろしました。ずっと前から、私は自分が自分のことしか考えていないことが分かっていました。直そうといつも思っています。時間に関して遅れることもしょっちゅうありますが、それもいつも直したいと思っていました。しかし、「少ない資源でたくさんのことができる方がいい」、「少ない時間でたくさんのことができる方が賢い」と昔の価値観変わらなかった。それは今でもそう思っているからです。なかなか直せないんですね。私はどうしたらいいでしょう???私は…この社会になれなくて、しんでしまうでしょうか。
胡さんに対しても最近冷めた態度をとっています。彼はいつもバイクと車で自慢してばかりで、私のことに賛成しないし、彼は北川さんといたら、私は話さえできなくて、自分は彼より人間関係ができていないし、面白くないことが分かっていますが、どうしても妬いてしまうのです。自分でも話したいと思って、一生懸命話したことがありますが、どうも自分らしくなくて。いつも避けようと思いましたが、気持ちがもやもやしてすっきりになれない。私、ダメな子でしょうか。
長いメールで申し訳ございません!どうかここに居させてください。 兪子豊」
本音です。
人間は自分ができないことが評価されることに恐怖感を抱いています。
特に愛している人、尊敬している人に。
天井に取り付けたばかりのひもとフックを取り外したとき、泣いていた。
抑えきれない感情が私の中から湧き出し、我慢しても、我慢しても仕方がなかったわけだ。
もともと自分はこんな賢い考え方があって、電気代も使わずに、クーラーじゃなく自然の風で体を冷やせるとお母さんに見せたら、喜ばれるだろう。今はそんなことを話したら、悲しまれるだけだけどね。
私は今まで自分の犯罪の訳が分からなかったが、少しわかったような気がしてきた。
なぜお「父さんが厳しい」という話をすると、涙が出てしまうか;なぜ辛くても、お金、ご飯を無駄にしたくないのか;なぜ勉強してなかった日に、自分をひどく責めるのか;なぜ人の目に気にしなくて、ダサい服を着ても、穴があいた靴下をはいても、屈辱に思わないのか;なぜずるをしてタイムカードを帰る時間より遅くおすのか;なぜ危険な状況に身をおいても、大胆でいられたのか;なぜ、人は私の才能を否定したときに、しにそうに苦しいのか。
すべてが読めた。
お母さんの私のための犠牲です。
お母さんは、自分のためにお金も使わなくて、布がダメになって、縫い繕うことができないまで着続けていた。お母さんは、シャレしたこともなくて、親戚から貰った香水、何十年たってもそのまま置いていた。自分が大事にしている玉のネックレスを私にくれて、「日本でお世話になった人に送って、私は使わないから」といった。トイレは自動に水が流れなくて、いつも隣で洗濯、洗面で使った汚い水をおいて、それでトイレを流していた。引っ越しも、独りで自転車で何十回も往復して、重い荷物を運んでいた。電車代使わなくて、いつも自転車で通勤していた。冬の大雪の時さえ。
私は塾で、成績が落ちたら、私を乗せて自転車に乗りながら、泣いていた。お父さんが私を叩いていたとき、お母さんは私を守って、お父さんとけんかしてから、ひとりで泣いていた。私は日本に行く前に、何か特技を勉強したいと、お母さんに連絡を頼んでいた。そして、また何日後聞いたら、お母さんはまだ見つかっていないと、そして私が怒っていた、なぜできないのかと。今考えたら、ひたすらわがままだった。しかしその時に、お母さんは泣き出した。「あなたのためになにもできなかった。私はだめなお母さんだ。ううう」私は呆れて唖然とした。こんなにお母さんが僕のことを愛してくれているのに、なぜ私はお母さんとけんかするのだと。二人で大泣きをしていた。その日、私は一生忘れないでしょう。
お母さんは、私を才能を認め続けていた。私がユニークであることをいつも認め、私は将来偉くなることを信じ続けていた。私がパソコンをいじると、お父さんに叱られるが、お母さんが背後で支持し続けていた。そして、私がいつも平安で、無事で、幸せな生活が送られると願い続けていた。
お母さんのことは、私しかわからないでしょう。いいや、私でも分かっていないはずだ。お母さんは、すべてを自分で担い、すべてをひとりで負い続けていた。
私はお母さん抜きで一人の人間になれない。私がやったすべてが、潜在意識的にお母さんを喜ばせ、お母さんの荷物を分担することだった。
私がほかの子より大人っぽいことと、パソコンが上手なことも、そこから来たのだ。
その私が、日本に来て、日本の社会に適することができる人間になろうとしている。
それは私のお母さんとのつながり、私の悪い習慣を切ろうをしている。
私は逃げようとしても、逃げられない運命であった。
2007年6月22日金曜日
心が震えるほど
今日「豊通シスコン」の企業説明会に参加した。
特別な情報はなかったし、向こうにほしがられていることさえ感じていなかった。
(私は正直に自分がMBAを取ろうと、言ったせいかな。)
その時に、楊とたくさんの友達がいた。
その中に、東さんもいた。
その二人に、簡単な紹介をした。
実は彼と彼女は3年前に一度あったことがあった。それは私と彼女と知り合ったわけと同じであった。
その時、楊は何も言わなかったが、うちに帰ったら、MSNで、「嗯,拜托!!!我还是头一次有着冲动呢!!」と、「彼女に彼氏がいるかどうか」を調べることが頼まれた。
彼女は、言語文化の博士課程に就読している。
正直なところ、きれいな女性だ。
1年生の時、日本語を勉強する学生がアンケートをしたら、図書券がもらえることがあった。
我々日本語授業のみんなが誘われた。誘う相手は、東さんだった。
彼女は話すときに、なんだか魔力が感じて、癒されるというか、落ち着くというか。
けれど、一年生の僕は、何も考えなかった。ただ、やさしいお姉さんが一人増えた感じだった。
しかし、そのあと、私は中国人留学生学友会に入り、彼女もそこで幹事をやっていたのだ。
名大祭の時、餃子を売り、大成功の代わりに、会長が私たちを連れて、食事とカラオケに行った。
私は食事でも、カラオケでも、十分楽しんでいた。
しかし次の日に授業があるため、1時過ぎまで歌ったら、やっぱり早く帰らなければいけないと思っていた。その時、彼女も帰ると言っていた。
食事後、私は友達の車に乗って、カラオケに行っていた。
自転車は遠いレストランの玄関に置いていた。
彼女は車で迎えられることを聞いて、レストランの前に私をおろしてくれないかと頼んだ。
驚いたことに、彼女を向かってくる人は、彼女の彼氏だった。
そのひとは、立派な車を持っている日本人だった。
その時かな~?日本人の彼女を探したいと思ったのは。
そして、心の中に震えることがあったのだ。
何がどうなっているか、はっきりとわからなかった。
「日本人の彼氏がいるのか、いいな~」と自分に言った。
それからもずっと、彼女と何度か会ったが、何も余計なことは考えていなかったのだ。
そして、今日。
その情報を調べてきてと言われた。自分の中で、何かが詰まっていて、悲しかった。
悲しかったのは、自分が「いい子」で、「彼女を探さないで」という親の言いなりになって、脱出できなかったか;「完璧主義者」で、周りの人が気に入った女の子とは認めづらいのか;それとも、タイミングがまだなのか…
彼女のいない現実に、この何年間も認め続けていた。
好きな人がいたりするが、何をすればいいか迷ううちに、見失ったり、いろいろやりすぎて逃げられたり。
ロマンティックな男だと自認していたが、どうもそうではなかったようだ。
私に、そういった魅力がなかったのだろうか。
家の親父も御袋も、彼女探していいよと言っていた。
こんな感情を波乱させることが話されて、逆にいろいろ考えせざるを得なかった。
醜悪な仲間の闘争、一人の女にめぐる複雑で、悲しい物語がたくさん聞いていた。
それで何が幸せだ。
何で女の歓心を得るのに、醜悪な人性を出さなければならないんだ。
私はその理由で、いつも他の人との戦いを回避していた。
「男女関係では、世間のやり方では適用できない。」
「試しているんだ。」
ということはよく耳にする。
欲求と尊厳で、何もかも、混乱していた。
世界は神の世界ではない。
神の存在を願う人々の世界だ。
私は、その聖なるものを手に入れながら、幸せになれるのだろうか?
特別な情報はなかったし、向こうにほしがられていることさえ感じていなかった。
(私は正直に自分がMBAを取ろうと、言ったせいかな。)
その時に、楊とたくさんの友達がいた。
その中に、東さんもいた。
その二人に、簡単な紹介をした。
実は彼と彼女は3年前に一度あったことがあった。それは私と彼女と知り合ったわけと同じであった。
その時、楊は何も言わなかったが、うちに帰ったら、MSNで、「嗯,拜托!!!我还是头一次有着冲动呢!!」と、「彼女に彼氏がいるかどうか」を調べることが頼まれた。
彼女は、言語文化の博士課程に就読している。
正直なところ、きれいな女性だ。
1年生の時、日本語を勉強する学生がアンケートをしたら、図書券がもらえることがあった。
我々日本語授業のみんなが誘われた。誘う相手は、東さんだった。
彼女は話すときに、なんだか魔力が感じて、癒されるというか、落ち着くというか。
けれど、一年生の僕は、何も考えなかった。ただ、やさしいお姉さんが一人増えた感じだった。
しかし、そのあと、私は中国人留学生学友会に入り、彼女もそこで幹事をやっていたのだ。
名大祭の時、餃子を売り、大成功の代わりに、会長が私たちを連れて、食事とカラオケに行った。
私は食事でも、カラオケでも、十分楽しんでいた。
しかし次の日に授業があるため、1時過ぎまで歌ったら、やっぱり早く帰らなければいけないと思っていた。その時、彼女も帰ると言っていた。
食事後、私は友達の車に乗って、カラオケに行っていた。
自転車は遠いレストランの玄関に置いていた。
彼女は車で迎えられることを聞いて、レストランの前に私をおろしてくれないかと頼んだ。
驚いたことに、彼女を向かってくる人は、彼女の彼氏だった。
そのひとは、立派な車を持っている日本人だった。
その時かな~?日本人の彼女を探したいと思ったのは。
そして、心の中に震えることがあったのだ。
何がどうなっているか、はっきりとわからなかった。
「日本人の彼氏がいるのか、いいな~」と自分に言った。
それからもずっと、彼女と何度か会ったが、何も余計なことは考えていなかったのだ。
そして、今日。
その情報を調べてきてと言われた。自分の中で、何かが詰まっていて、悲しかった。
悲しかったのは、自分が「いい子」で、「彼女を探さないで」という親の言いなりになって、脱出できなかったか;「完璧主義者」で、周りの人が気に入った女の子とは認めづらいのか;それとも、タイミングがまだなのか…
彼女のいない現実に、この何年間も認め続けていた。
好きな人がいたりするが、何をすればいいか迷ううちに、見失ったり、いろいろやりすぎて逃げられたり。
ロマンティックな男だと自認していたが、どうもそうではなかったようだ。
私に、そういった魅力がなかったのだろうか。
家の親父も御袋も、彼女探していいよと言っていた。
こんな感情を波乱させることが話されて、逆にいろいろ考えせざるを得なかった。
醜悪な仲間の闘争、一人の女にめぐる複雑で、悲しい物語がたくさん聞いていた。
それで何が幸せだ。
何で女の歓心を得るのに、醜悪な人性を出さなければならないんだ。
私はその理由で、いつも他の人との戦いを回避していた。
「男女関係では、世間のやり方では適用できない。」
「試しているんだ。」
ということはよく耳にする。
欲求と尊厳で、何もかも、混乱していた。
世界は神の世界ではない。
神の存在を願う人々の世界だ。
私は、その聖なるものを手に入れながら、幸せになれるのだろうか?
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