2007年5月30日水曜日

寝ようか

焦る人は眠れない…
だけど、寝よう。

2007年5月29日火曜日

重要:ITSOの議論!

スタッフの皆さん:

私はセミナー事業の次に、留学生の就職支援事業を立ち上げようとしています。
昨日、岐阜でITSOの説明をして、岐阜大学の先生とG-netのスタッフに、
「どの活動を軸に置くかがわからない」という意見がありました。

セミナーが質のあるものにしなければいけないです。
二度といきなくないセミナーを作ったらおしまいです。
しかし、どうしたらセミナーがそんなに魅力のあるものになれるんでしょうか?

留学生日本に来て、一番苦しいのは0か月 5か月の間になるでしょう。
その人たちを支援すべきか、それとも、ある程度日本になれた学生で、日本に就職したい人なのか?

もっと詳しく見たい:
引き金:http://jp-itso.blogspot.com/2007/05/528-g-netitso.html

ご手数ですが、Orkutに登録して(無料)、フォーラムで議論しましょう。
http://www.orkut.com/CommMsgs.aspx?cmm=32404704&tid=2534918390700053751&na=4

2007年5月24日木曜日

経営学 レポート(更新報告)

経営学 レポートを ITSO-国際人材支援機構作成歴http://jp-itso.blogspot.com/に譲った。
第一章のすべて(3つ)の問題について論じたので、見てみてね。

2007年5月23日水曜日

時間に勝つ

「時間に勝つなんて?」
「馬鹿な、出来るもんか?」

と言うかもしれない。

俺は、昔ずっと時間に勝てない男だった。

夜寝るのが遅いし、朝起きるのは遅いし、約束に遅れるし、予定を先延ばしして結局一夜漬けすることはしばしばあったものだ。

で、時間に勝つことははたしてできるのか?

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それを聞くのは愚かなものだ。
違う角度でその問題を見なければ問題が解決しないのだ。

時間は同じスピードで進んでいる。
神様がそれをつかさどっているのなら、みんなに平等であるといえよう。
ただ、同じ時間で、出来る人とできない人がいる。
それはなぜだ。

分析しましょう。
時間内でできる人は、頭がいいかもしれない。
しかし、頭がいいだけでは、だんだんと「先延ばしタイプ」になってしまう。
普段は勉強しなくて、試験前の一週間(それとも一日?)勉強して、高い点数取れたら、他の人から見られたら、格好いいではないか?
一方、頭が悪くて、出来ないことはあろうか?それもないでしょう。
本当にどうやって頑張って勉強しても、試験でいい点数取れないのだったら、試験の出題に問題があるのだ。学校の知識は、暗記で通ることなので、努力次第だと思う。
逆に何遍も見ていた「頭の悪い」子が、何年たってもその知識が忘れることなく、社会でエリートになったことは少なくない。

なら、いったい何が理由なんだ?
時間を理解しているかどうかにあるのだ。
この時間で一つのことをやると、違うことをやることができなくなる。

一生の時間をどう分配するかがポイントだ。
一日に短縮してもおなじさ。

頭が短時間に集中して勉強するのが理解能力面で効率的で、
何回も復習して、使って、考えてやれば、「記憶曲線」理論により、記憶面で効率的だ。

これらの「ツール」を使って、時間を効率的に「マネジメント」ができる。
私は学校の時間を大切にする、残りの時間は、勉強と仕事(経験)に半分ずつ使う。

勉強は20分決算で、終わったらすぐ違う学科/本に切り替える。
早くて、同じ内容を見る頻度を上げる時間の使い方である。

頭に入らなくなったときは、雑誌を見たり、遠くの景色を見たりして、
10分から30分休憩をする。

毎日こんなに「見えない経営資産」の蓄積があったら、
「将来へのリスク」は極めて低くて、そして、「経験」に使う時間を大きくすると、
社会でのEQも高くなるし、人生は豊かになることは間違いないでしょう。

その上にこそ、「貴族」という野望の追求が初めてできたのであろう。

今気づいたこと

高校野球やるなら甲子園、
サッカーをやるならワールドカップ、
俺は貴族になるのなら、世界の貴族を見てこなければね、何が貴族かわからないものだ。

気づくのが遅かったが、
見に行こうではないか?

まずは、日本の頂点に立っている人たちをね。!(-^_^-)

2007年5月22日火曜日

格好いいこと

気づけば懐かしい川原に来てみたり
昨日みた夢の続き想像してたり

あの日少年の君が大人びてみえて
さよならも言えず傘に隠れたすれ違い
もしも...なんてことを時に 忘れ咲き


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コナンの「甲子園の奇跡」を今日もう一回見た。

スポーツにミニの人生が映っていることがよ~く分かった。

実力を毎日の懸命な練習で上げて
最後まであきらめないで、戦場で真剣勝負をして
笑って難題と失敗を迎える。

なんてすばらしい姿勢、なんてかがやかしいスタンス。

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人間はどんな人になろうかという考え方があって、
素晴らしいことを目指してこそ、負けることはなくなる。

野球の最高の競技の場の甲子園を目指して、
すべてをなくしても練習し、試合し、みんなの努力で
最高の試合を世界に示し、栄誉と尊厳のために頑張る姿が最高ではないでしょうか?

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俺もいっしょさ。
商業の頂点を目指して、それに入るために身を磨いている。
失敗を重ね、あらゆる場面で自分の能力を伸ばし、その頂点に立たなければ、しぬまで頑張り続ける。

笑って失敗に迎えることができるなら、
きっと、甲子園の奇跡が俺にも起こるのであろう!

さあ、がんばるか。笑ってね。

自分がきらきらする

頑張れば、いろいろ可能性が目の前で広がる。

まだまだ自分が弱い人間だけど、
一歩づつ進歩している自分が実感できて、
心から喜んでいる。

これからも、自分が貴族になりつつあるだろう。
(ITSOのBloggerに参照)

2007年5月21日月曜日

NPO 国際人材支援機構 のBloggerを作りました!

NPO 国際人材支援機構 のBloggerを作りました!
http://jp-itso.blogspot.com/
時々見てみてね。

2007年5月15日火曜日

Orkut & MIXI

今日Orkutに参加しました。
MIXIも参加待ちしています。

このようなSNSサイトを見習って、自分のサイトを立ち上げよう。

2007年5月14日月曜日

経営学 レポート(経営戦略問題点)

《経営学入門》第一章 戦略とは何か

演習問題:
1.戦略が失敗したと思われる例を自分で見つけ、その例ではこの章の「戦略の二るの定義の内容のどこが問題だったのか、考えなさい。

戦略の二つの定義:
①「市場の中の組織としての活動の長期的な基本設計図」
②「企業や事業の将来のあるべき姿とそこに至るまでの変革のシナリオ」

eビジネスの失敗 <6つのケース>
http://www5.ocn.ne.jp/~ganet/internet/ibs/no69.htm

1.ニッチ市場にターゲットを絞ったが、マーケティングをうまくできなかったケース

eビジネスでは、少数ユーザー向きの商品であっても、全国にいるユーザーを集めることでビジネスが可能になることが魅力の一つです。ところが、ビジネスとして成功させるには、サイトや商品の企画だけでなく、マーケティングというのが非常に重要になってきます。なぜなら、確かに、全国にユーザーは散らばって存在するのですが、彼らをサイトに集めることができなければ、顧客として獲得することはできないからです。失敗した原因は、マーケティングを怠っていたり、あるいはマーケティングのノウハウを持たなかったことにあります。筆者も、これまでニッチ市場の可能性を説いてきたのですが、その話を聞いて、実際にそれを実施した方から、うまくいかなかったじゃないかと文句を言われたことがありました。実際にコンサルティングをしたケースの話ではないので、マーケティングまで面倒を見ることはできなかったためですが、もし企画に本当に自信があったのであれば、そうなってしまったのはマーケティングがうまくいかなかった結果でしょう。このケースで失敗した理由として、「市場の成長スピードが見込んだものよりも遅かった」などと言われることもあるようですが、これははっきり言って間違いです。このように納得しているようでは、同じ失敗を繰り返してしまう恐れがあります。技術革新などによるユーザーにとって全く未知の市場や、ユーザーのライフスタイルを劇的に変えるような市場でなければ、この言葉は当てはまらないからです。失敗したのは、市場側の問題ではなく、企業側の企画内容かマーケティングのやり方に問題があったことに他なりません。

戦略の①の定義から見ると
①「市場の中の組織としての活動の長期的な基本設計図」

市場をニッチ市場、「大手資本が手をつけないようなマーケット」にして、市場に対する戦略はターゲットを絞って、ニーズが満たされていない少数のユーザー向けなので、明確な顧客群になるでしょう。

しかし、競争相手は明確していない。それは顧客自身なのか、代替品があるのかわからない。

それに、顧客の特性をはっきり把握していない。顧客はサイトを見る人でしょうか?

戦略の②の定義から見ると:
②「企業や事業の将来のあるべき姿とそこに至るまでの変革のシナリオ」

議論しにくい。

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CONNECTプロジェクトがソニー復権の切り札にならなかったわけ

http://japan.cnet.com/special/story/0,2000056049,20131247,00.htm

プログラマたちはCONNECTの開発に取りかかった。目的は、AppleのiTunesに対抗するソフトウェアを作ることだった。しかし、ソニーは、社内の政治的駆け引きや、困難なプログラミング作業、(Appleに先を越された)いらだちなどで機能不全の様相を呈していた。そして、それはソニーのデジタル音楽市場に対する野心の実現に大きな障害となっていく。14カ月後、CONNECT Playerはリリースされたものの出来は悪く、Appleに追いつこうとするソニーの目論みの失敗は決定的となった。

iTunesに追いつこうとしたソニーの試みは、他社のテクノロジに手を出し、結局は失敗に終わるという悪しきパターンの最初の事例となった。このパターンは、鳴り物入りで宣伝されたソニーのeBookプロジェクトをKinomaが担当するという形でその後も続いている.

なぜソニーは、自社の将来にとって極めて重要な技術を外部の会社に求めてしまうという、ソニーらしからぬ戦略をとってしまったのだろうか。

2005年、Hoddie氏は、FSKを基盤技術として用いたデジタル音楽ソフトウェアKtunesのプロトタイプをデモするまでにこぎつけた。Ktunesを使えば、ソニー独自のデジタル音楽ビジネスを一気に立ち上げることができそうに思えた。
 しかし、このプロジェクトは、ソニーのある幹部の言葉を借りると、「まぎれもない大失敗」に終わった。
 批評家たちによると、FSKは成熟した技術ではなく、それを扱うソニーのプログラマたちに必要なドキュメントがほとんど用意されていなかったという。また、ソニーの既存のウェブシステムや商用システムに組み込めるように設計されておらず、インターネットアプリケーションで通常使用されるHTMLやXMLといった標準にも準拠していなかった。このため、どのような機能を実装するにも大変な労力が必要だった。
 ソニーの内部関係者によると、Kinomaの中核技術は携帯用デバイスとPC上の両方で動作するように設計されていたという。FSKベースのSony Walkmanのプロトタイプも開発されたが、ソニーは早い時点でその路線を捨てて、あくまでPC上のプラットフォームとしてのKinomaの技術にこだわった。

ソニーは技術力も資金力もある大企業だ。それは間違いない。しかし、Appleと同じ土俵に上がるまでの道のりは、長く険しいものになるだろう。
 「ソニーのプレイヤーは今でも、ほとんどの地域で、市場シェア2~4位あたりにつけており、出荷台数も数百万台にのぼる」とEnvisioneeringのアナリストRichard Doherty氏は言う。「ただ、サービスソフトウェアに関しては相変わらずの苦戦が続いている」(Doherty氏)

戦略の①の定義から見ると
①「市場の中の組織としての活動の長期的な基本設計図」

市場をデジタル音楽市場に着目した。
ユーザーは日本の国内のiTuneを使って、インターネットから音楽をダウンロードしているユーザーたち。競争相手は当然にAppleだ。

ネットコンテンツ、FSK:マルチメディアファイルの転送プラットフォームを利用しようとして(技術を使う変換)、ソニーのマルチメディア(音楽、映像)に強いことを復帰させたいことであろう。

しかし、組織として、「社内の政治的駆け引きや、困難なプログラミング作業、(Appleに先を越された)いらだちなどで機能不全の様相を呈していた。」という。

プログラマがKonima社のプログラムを十分に理解していなかった。「プログラマたちはFSK(の出来の悪さ)を責め、Hoddie氏はプログラマたちを責めた。」組織の間にぎくしゃくがあった。
「FSKは成熟した技術ではなく、それを扱うソニーのプログラマたちに必要なドキュメントがほとんど用意されていなかったという。また、ソニーの既存のウェブシステムや商用システムに組み込めるように設計されておらず、インターネットアプリケーションで通常使用されるHTMLやXMLといった標準にも準拠していなかった。このため、どのような機能を実装するにも大変な労力が必要だった。」これだと、プログラマの文句は多いだろう。

活動計画として「14か月リリース」で、その間に実行の可能性をチェックしたら、ある程度予測できるはずだと思う;リリースの出来が悪くて、iTuneにかなわないことは明らか。

そして「基本設計図」として、その市場の選択、技術の他社との組み合わせなどは検討が欠けているでしょう。

戦略の②の定義から見ると
②「企業や事業の将来のあるべき姿とそこに至るまでの変革のシナリオ」

将来のあるべきソニーは、「デジタル音楽市場の大きいシェアを持つブランド企業」と作りたかっただろう。

しかしそこまで辿るために、今までのブランド性を保つことが大事だった。

そのために、出来の悪い製品を出すわけにはいけない。組織のバックアップを適切に行われなければいけない。

シナリオとして、「SONYの幹部は、リリース時期を優先させるために機能削減を指示、何とかCONNECT Playerのリリースにこぎ着けたそうです。でも、US SONYの幹部はリリースを拒否。ヨーロッパと日本ではリリースされたけど、悲惨な状況になった」

リリースを実際の技術と組織の状況に合わせなかったし、Hoddie氏を信じ込んで、プログラマの苦情を聞かなかったことに問題にあるであろう。


2007年5月12日土曜日

広島へ行こう!

広島はきれいな都市だ。
それより、平和な都市である。

今年夏、我々は自転車に乗り、広島に向かう。
それは、私たちの平和への思い、
日本、私たち留学生第二のふるさとへの感謝、
日本で出会った人たちのためにも、
私たちは、日中間の平和の架け橋になりたい。

9月中旬に行きます。
参加者募集中です。

2007年5月10日木曜日

怖がる猫

人が来ると、あわただしく避ける猫、
彼らを見ると、どうしようもない微笑みが思わず
頬に浮かんでしまった私は、
いつの間に、「猫みたい」と言われた。

蝶々の踊りに空中に手を奮い、
ジャンプし回り、そして
日光で黄色く映った花畑の中で
丸々く縮こまっていた。

なんとピースな画面だ。
私もそのような生活があったらといっつも思う。


猫には、我々のない素質を持っている。

彼らは生きることを芸術だと思っている。
新しいことを試すことは止まったこともなく、
休みたいだけ休んで、そして
飛ぶべき時は、一瞬に獲物を捕ってしまう。



怖がる猫は、逃げ脚がはやい
些細な音でも、彼らの耳から逃れない。
私がうちに帰る時に、「ニャン」で歓迎してくれる
私がえさをやる時に、「ニャン」で嬉しがっている

すぐベッドの下に逃げるこの2歳半の猫は
なぜか見るほど可愛くなってしまう。

一緒に生活すると、憎しいものも、体の一部になったみたいに
憎しむようがなく、
愛して、愛して
また愛する

怖がる猫はいつまでも怖がる。
怖がることでさえ、愛しく感じる

柔らかい毛の中に包まれて
ぬくもりが手から首の後ろまで伝える。
彼の気持ちも伝わったような
私も縮こまってベッドの中に、日が当たる屋根上に
愛する人の懐の中に、自分の思想がとろけて

悩まずに、あせずに
あたかもしんだように
静かに、安らいで、呼吸する

2007年5月8日火曜日

日中に対する思い

日中に対する思い


兪子豊
平成19年5月8日


私は中国の東北で生まれた。大学生になってから日本の名古屋に来た。


日本に来る前に、中国の学校教育及び家庭教育などから、私は日本についてきわめて
複雑な感情をもつようになった。日本の軍隊が私の故郷、瀋陽で事変を起こして、そ
こから中国の侵略戦争を発動した。毎年の9月18日の夜に、警笛が夜空に響いた。歴
史の教科書、戦争の映画、日本の軍国主義、中国同胞の虐殺、経済が世界の頂点に立
つ今の日本でも、靖国を参拝し続けている。その一方、軍人の日本人が上司にびんた
を張られても、掌の下に火をつけられても、じっとしていた姿が見られた。お父さん
によると、それは「武士道」精神、日本人は優秀な民族だ、忍ぶことで、礼儀と尊厳
を表している。お父さんはビジネスマンで、たくさんの日本の素晴らしいビジネスマ
ンが書いた本を読んできて、感銘を受けた。日本に留学しに行くなら、日本人の考え
方、日本人の身だしなみを勉強してこい、と強く申してくれた。


学校に入って、流行っているのは、日本の漫画、アニメ、ゲーム機、ゲームソフト。
そしてファッション、それから日本のドラマも入ってきた。「日本テレビドラマ黄金
の十年」云々。我々が使っている古いカラーテレビをはじめ、ラジカセ、ウォークマ
ン、フィルム、CD、デジカメ、ステレオ、化粧品、ヘッドホンまで日本のメーカだっ
た。日本の決起を不思議に思いながら、日本人民への感心や憧れが幼い心の中に満ち
ていた。


日本のアニメの主題歌が歌えることを自慢するように、一生懸命その歌の音を真似し
て、数えきれないほど何回もテープの後に復唱していた。しかしそれは逆に小学校の
友達に、「あいつが日本人だ、じゃなきゃなぜ日本語の歌が歌えんだ、悪い奴だ、売
国奴!」とか言われた。「そんな馬鹿な」と思って、一生懸命争ったが、どうにもな
らなかった。


国民感情が政治に利用されることは本当に悲しいことだった。


そして、日本人が中国で女郎買いしていたとか、日本で中国人の留学生がいじめられ
たなどの情報が何年おきに耳に入る。そして「抵制日貨」などのスローガンも耳に
入っていた。私はその環境で育っていたが、日本への抵抗感がそれほどなかった。普
通にスローガンを聞きながらも、そのまま漫画を読んだり、ゲームをしたりしてい
た。


しかし、本当に自分が留学して、海を渡って日本に来る時に、日本人がどんな人か真
面目に心配していました。真面目で、礼儀にこだわる日本人たちは、本当に中国人に
限っていじめたりするのでしょうか?


とうとう日本に来た時、日本の車の量、部屋と道の狭いスペース、店舗と町のきれい
さ、日本人の親切さなどに衝撃を受け続けていた。

若いから、事実を受け止めることも早かった。物価なども確かに中国よりはるかに高
いけれども、中国の物価にまだなじみのない青年の私にとって、日本円に換算して計
算したほうがわかりやすかった。


日本に来る前にあえて考えもしなかったのは、日本人が「日本がもうだめだ、中国に
追い越されてしまう」、「日本の若者はもうだめだ」、「日本が戦争に負けたか
ら・・・」、「日本は島国だから・・・」をいつも口にする。

そして、チームワークが素晴らしい一方、生活が楽しそう、遊んで楽しそうに見える
人が何か月探しても、どうも見つからなかった。

日本人は感情を隠すことが上手だと聞いたが、なんかこの社会がネガティブは雰囲気
が漂っている気がしてきた。


こんなに世界多数の国の人々にあこがれている日本というのは、技術が進歩している
一方、「日本人には発想力がない」などの不満が多い、「戦後の教育でわれわれが悪
いと思わせることがあった」とコーントロールされたと訴える、「我々は昔国のため
に頑張ってきたのに、今の若者は…」と他人事をいう、「北朝鮮が戦ってくる…」と
怖がる政治家、「ストレスがたまる」と不幸な顔をしている人々…。

この国どうなっているのだ?素晴らしいものをなぜなくそうとしているのでしょう
か?日本は精神で築かれている国だ。中国なんてその精神がないから、いろんな意味
で愛国教育を行われてきた。日本は昔から自然を愛する、待つ、耐える、感じる、空
気を読む、桜が散る時を歌う、人が死ぬ際を唱える。建前を愛して、迷惑をかけない
で、気で生きる、魂で生きる、男で生きる。そんな素晴らしいことが、今にイライラ
している人々の前に飛び散りそうになっている。


日中国交の歴史を見れば、1972年田中首相訪中からではなくて、その約2000年前の紀
元1世紀の弥生時代からなのであった。もちろん、領土などにまつわる紛争が何回も
あったが、文化の交流、貿易の展開、民間の友好が途切れることがなかった。中国人
にとって日本が親しいのは、漢字だけではなくて、根底にある文化が同質であるから
だ。古墳文化のとき日本に伝来した漢字、飛鳥、白鳳時代に渡来した仏教、建築技術
者、仏典、制度、文学、律令、文物、芸術、思想、詩など、平安後期から貨幣、金融
システム、絹織物、陶磁器などの輸入が盛んでいた。日本が世界に誇る芸術の諸々が
中国でも同根のものがある。陶芸、折り紙、茶道、拳法、座禅、書道などが挙げられ
る。


近代になっても、ひどい戦争があったにも関わらず、両国の人民の友好の歩み寄りが
とどまらなかった。温家宝総理4月の訪日「日中共同プレス」を発表、中国への短期
旅行がビザなしでも行けるようになった今年、国交正常化35周年の節にもあって、こ
れからの日中友好が一層深まりそうに感じている。


私は日本が好きだ。「中国が嫌い!」という日本人を除いて、日本のすべてが私に
とって、親のように、兄弟のように、子供のように感じられる。名古屋は私の第二の
故郷だ。ここから私は成人し、ここから私は社会に入り、ここから失敗し、ここから
立ち直る。この少ない3年間桜咲く、紅葉散りを経て、借りた恩がもう一生かけても
返しきれない。


このちっぽけな私を日本人の友達、長上が見守ってくれて、成長をともに喜んでくれ
て、失敗を慰めてくれた。彼らなしで私はここまで歩めなかったと思う。平和の大使
になって、日本と中国この二つ兄弟みたいな国を千代の友好を保てるように努力して
いきたい。

2007年5月1日火曜日

何かを失い、何かを得る

いつも何かをなくしたときに、そのために、得られたものがあるではないかと
自分を慰めようとする。


それは太古から変わらないことだと信じている。
陰と陽が必ずある。
心理的だけかもしれないが、
視力をなくした人たちが、格段優れた聴力をもつようになる。


老子曰く:物極必反。
すなわち、物事が極端まで行きすぎると、逆の状態になりがちである。

昔々から、東方文明のエッセンスには、「度合」というものがある。
すぐれることにも、度がある。興奮することも適度でやめるべき。

我々は、世界の究極の答えを追い続けている何千年の末に、
世間の変わるもの、変わらないものを見極め、
なるほど、バランスを取ることが、自然界の秘密であったね。
人間でも、人間の社会でもそのようなバランスを崩してはならない。


座禅の先生がこう言うのだ、勇気がいつもだたしいわけではない。
「勇気」(Courage)なんてききがいい言葉だ。
「恐怖」「卑怯」に対抗する心境ではないでしょうか?

自分の心に従え、感じているものに従え。
こんな教えを何度も聞いたことがあった。
私はそれに従うかどうかというと、たぶんしないでしょう。

人間の心境が信頼するものではないのだ。
一時間前考えたことが、些細なトラブルで変えられ
もともと愛すると考える人が、なぜか確定できなくなった。

人間は思考ができる動物だ。
思想がわれわれを神に導いている。
私たちの精神を清めてくれる。
しかし、動物として、我々は寝ることが必要だし
生きていくための食糧、着替え、頭の上の屋根
周りにいる人々が必要となるのだ。

「自分を許して」と言ったらへんかもしれませんが。
諦めるには、勇気が必要であることは確かであろう。



何かを失うことで、得るものを考える反面、
何かを得ることで、常に何かを失っているのではないでしょうか??

勉強のカーブとは、わかりにくいものだ。
できるできないの境目はわからない。

探し続けることは私たちの人生だって
そうかもしれないね~。

勇気を借りる

勇気は生み出すもんではなく、与えたり、もらったりするものです。
何回も、何回も取り残されてくじけても、幾度も、幾度も苦しんで悩んでも、
立ち上げられるのは、何かの魔法を使うことができたからでしょうか

違いますね。
素晴らしい未来へのあこがれ、愛しい娘たち、恋しいふるさとのお母さん、
育ってくれた師匠、手伝ってくれた友達、失敗するときにもそばにいてくれたあの人、
その涙と、笑顔と、わくわくどきどきする日々、泣き明かす日々
私たちの「魔法」になるものだ。


ひとつ初対面の人に聞きたいことがある。
「あなたが確信していることは何ですか」(What are you sure about?)


映画≪The Family Man≫2000の中で、Jackが自分の人生がお金持ちになって、自分の価値を最大限にすることができて(会社のPresidentになった)、歴史上の最大のM&Aを企画している人間として、人生の歩み方に絶対の確信を持っていた。
ちょうどその時、大学時代の結婚する計画までたてた彼女から電話があったと聞いた。恋をしていた彼は、キャリアのために、彼女の愛をアメリカに残して、ロンドンに飛んで、世界の大銀行でインターンをすることを選んだ。彼自身もいいチョイスだったと思っている。
しかしながら、夜であった黒人の男性を助けようとしたJackが、夢の中で強制的にもう一つの選択(ロンドンに行かなかった)ことを体験させられた。(Glimpse)
夢の中で、彼は自分のままにいるが、もう一つの選択肢の彼を演じなければいけなかった。二人の子供の最愛のお父さんで、大学のSweetHeartのKateと結婚して13年、愛しない日が一日もなかった("For the last 13 years, I never stoped loving you!!")。
キャリアに確信を持っていた彼が、毎日不安定な日々を送っていて、残り133回返済のある郊外のお家に住んで、タイヤの小売のセールスマンとして、毎日前と値段の二桁違う服を着て、子供の世話と友達家族とのパーティー、雑談が大部分の時間を占めている。金持ちだった彼にとって、空港で見送るときに彼をロンドンに生かせないKateが、彼の生活をめちゃくちゃにした。
Kateとけんかして、いろいろ話もしているうちに、Kateが一番確信しているのは、幸せな家族だった。二人がその赤い壁、煙突暖炉、大きい庭のおうちで、顔がしわしわまでずっと住んでいて、娘たちが時々見に来て、Jackが庭の台を建て直しで、セメントを塗っていて、Kateが暖炉のそばであったかいコーヒーを飲んだり、本を読んだり、セーターを作ったり。毎日愛して、愛されて、愛し合っている生活が人生の確信だと。そのために、お金、都市の繁華、栄誉、すべての物を放棄してもいいのだと。
Jackが感動した。いい夫、いいお父さんとして働き始めた。
Glimpseが終わる時に、終わってほしくない思いが胸にいっぱいだった。
次の日の朝目が覚めて、自分の人生の確信しているものは確信できなくなってきた。そして、Kateを一生懸命探して、変えようがない運命を変えようとした。パリに行こうとしているKateを空港で止めることに成功した。(I don't know what our lives would like, I choose us.)
それが、映画の終わり。

私が確信しているのは、私の力で、私の人生が変わることだ。
だから私は努力し続け、私はくじけない、私は私でいられる。
「まだ遠く見えなくても 一歩づつ、ただそれだけで信じてゆこう。」←歌詞