2008年7月23日水曜日
まず自分から(ウェストミンスター寺院の地下室の碑文)
何の束縛もない若かりし頃、想像は果てしなく広がり、私は世界を変えることを夢見ていた。ところが、年を重ね賢くなり、世界は変わらないことに気づいた。そこで、目指すものをもう少し近いもの
にして、自分の国から始めることにした。
だが、自分の国も変わらなかった。
老年期に入り、私の願いは悲痛な思いに変わった。そして、自分の国もだめなら、少なくとも、最も近くにいる家族を変えることにした。
だが、悲しいことに、これすらままならなかった。
今、私は死の床についている。なんと、今になって初めて分かったのだ。変えなければいけないのは、自分自身だったのだと。自分が変われば、家族も変わっただろう。
そして、家族に励まされ支えられることで、国をよくすることもできただろうし、やがては世界を変えることすらできたかもしれなかったのだ。」
“在英国威斯敏斯特教堂的地下室,圣公会主教的墓碑上写着这样的一段话:
当我年轻的时候,我的想像力没有受到任何限制,我梦想改变整个世界。
当我渐渐成熟明智的时候,我发现这个世界是不可能改变的,于是我将眼光放得短浅了一些,那就只改变我的国家吧!但是这也似乎很难。
当我到了迟暮之年,抱着最后一丝希望,我决定只改变我的家庭、我亲近的人——但是,唉!他们根本不接受改变。
现在在我临终之际,我才突然意识到:如果起初我只改变自己,接着我就可以改变我的家人。然后,在他们的激发和鼓励下,我也许就能改变我的国家。再接下来,谁知道呢,或许我连整个世界都可以改变。
要想获得新生活,就必须改变自己,勇于突破,而不能总是原地踏步。这就是积极的心理态度所谈的全部问题。当你抱着积极的心理态度时,世界在你面前便势必要低头。”
2008年7月10日木曜日
给妈妈的一封信 ----RE: 顺其自然,不要背负得太重,让自己轻松快乐地生活----
是这样阿?(^∇^)!哈哈哈
你不说"挥了挥",说"摆了摆"我以为在头上或者手上摆了摆呢.
不用你这样,没什么事情.你要是再这样,我都不敢跟你说了.
用不着眼贴!
我这么年轻,就是累了呗,歇一歇就好了.
你不能光让我享福,作乐,我想老狗说的就是这一点.
什么叫"不要给自己太大的压力.尽力就好"?安慰自己还行.
你也这么多年经历这么多事儿了,应该知道不能把"世界"(社会)看得太轻,不能轻视,世界上没有免费的午餐.
我知道你是什么想法,你不希望我苦了自己,
但是人都是经历挫折才能长大,受了伤才能坚强,吃一堑才能长一智阿!
不用担心.
,说不用担心也不是就能不担心的,是吧?
但是我不会那么傻的,我自己会保护自己(不是说用力量,是指高级的),你要是期望别人去让你放心,你不是应该去劝别人,应该去改变自己。
我意识到这一点,还是最近的事儿。
房东跟我说,“与其担心父母的事儿,应该让自己问心无愧的活着”。
日语是「親の事を気づかうより自分に恥じないように生きなさい」。
这对于我来说是对的,我会努力,但是对于你来说也没有错啊。
你总是特别的节省,吃那些腐败的食物,攒洗衣服的水冲厕所,天冷了也不去暖和的屋里不去享受生活,你对自己是这样的,怎么叫我去不节省?要是我是个败家子的话,那我也太没良心了。
这时你希望的吗?没良心的我,做事也不可能成功,也不能有真心的朋友阿。
所以已经形成一种无意识的活动了,但是不是坏事。怎么说也是美德的一种阿。
根说别担心,但是也不能听“不要担心”就不担心一样,
你能做到不去为了我那么省,为了我这么自责,那么受苦。
我也就能有信心去享受了!
我一直都想去放开,不要那么小气,因为意识到,小气不能办成大事,尤其是在商业领域。
更别说去招待别人,跟生意场上的人讨好,做些“捷径”的事情了。
虽然不是所有的情况都是好的,但是如果能的话,才能想到所有的可能性,不会错过机会。
能有大发展。
不是说所有的事情,说能就能的,
那些犯错的,犯罪的,我不相信他们都是认为自己做得是对的去做的,
一定是有言不由衷的情况。
其中有一种就是类似“吸烟,吸毒,喝酒,赌博”,放弃不了的人,
他一定是有些言不由衷的事情的,做这些事可以让他们感到舒适,放松,甚至是解脱。
跟你说了这么多,其实我跟我爸一样,都是嘴上所得明白,真正做就不是我了那种。
但是比联道理都不懂我感觉还是强。
起码有这种意向。
其实“嘴上所得明白,真正做就不是我”的人也都是“有些言不由衷的事情的,做这些事可以让他们感到舒适,放松,甚至是解脱”(我认为)。
不是说不适合就不做了。
不是说想做就能真正做到的。
或者说不是说想不做就能真正做到不做的。
同样,直到应该这么做,但是有很多顾虑就不能做到最好,对于争取的判断没有顾虑是最好的,
但是避免不了犯错我的情况。
有这种倾向的人我猜有可能是“挫折和失败”比较多的人。或者是“心理上” 挫折和失败比较多的。
你仔细想的话应该能发现自己的事情的问题的关键!
(换个角度,如果自己都不能发现,怎么没有自己更了解自己的别人能发现呢?)
好了。
我睡了。
你也不要去为了我拼命打工(要是为了自己没有关系),(虽然说这句话事实上没什么意义,但是还是感觉告诉你我是怎么想得比较好)。
但是还是出去,跟别人接触接触,找到自己的真正强的方面,做自己真正有优势的事情,或者真正爱做的事情。
这时我对你的唯一的最真心的请求了。
所以我今后也不担心你了。
因为我相信你。听过我这些话的话,会去让我放心。
2008年7月3日木曜日
考え...by YU 無茶苦茶
穏やか?おとなしい?
しなやかに関わらず逞しく勇ましい?積極的?
それら、女の子の特徴じゃないか?
そう思わないで、お前らしく生きましょうね!
自分を誇りに思って生きていきなさい!
色々言われてもそれでいい、自分を信じて一緒に行こう!
ずっとしっかり考えたいが、いつも時間を無駄遣いして、
勉強も出来ず、考えをまとめることもできず、
だだらだら毎日を送っている気がするよ。
人間には何を思い続けばいいんだ?
正しい事をすること?
自分を信じること?
それとも挑戦し、大きくなり続けること?
僕は自分の将来を信じている。
だから頑張れるんだ。
ただ野心があって、大きくなろうとは思わない。
そして綺麗事語って、夢に向かってひたすらがんばる人にはなれない。
僕は現実的だ。
そして地味でもある。
...
僕は最近やけに自信がないのよ
なぜかと思う?
別でもない、自分を疑っていたからだ。
人間は考え方に人生の歩み方が結構違ってくる。
なぜ自分を疑ったかというと、他の人に何度も言われたから、
「自分が弱い」可能性を疑い始めたのだ。
なんか、ほんの少しだが、人生が分かったような気がする。
少し予測できる気がするね。
それは以前より多く知ったわけではなく、「角」を無くしたと思う。
実はその角ら、持ち続けたかったわ。
それらがあると、何かと安心だ。
今でも少し持っているが、以前の10分の1位かな?
すでに恋しい存在かな?
人間は本当に寝なきゃだめだね。
頭がふらふらする。
でも、寝たくない。
寝るとまた昨日の繰り返しになることが分かり切っているから。
怖いの。
...
いったい何をつづけて何があっても変わらなく守り通すのか?
いったい何をかたく考えないで、むしろ諦めて放棄したほうがいいのか?
分からない。
分からなくてもいいのか?
それともだめなのか?
たぶん、世の中その教科書がないってことは、人によってよいことはそれぞれっていうことだろう。
私にとっていいことはたぶん、みんなに対していいことと一致すれば、いちばんいい。
私はその考え方でやってきたんだ。
...
ある意味、「適性」を否定するような価値観だ。
「何が世の中で一番やり易いか」を基準にやってきた。
それは「自分」の要素抜きで考えてきた。
「世の中の人」にとっての認識だった。
それはそれで私の人生にとって正しかったかもしれない。
人はそれぞれだからなあ。
むやみに方法論を追及するほうが危険だからね。
理由も分からないまま、人に流される傾向があるのよ。
それより情報を仕入れて、素直に反応したほうがいいと思った。
ロジック的に考えることしかできないからね、私。
...
もうしぬことなんか考えたくない。
疲れるし。
今のままでいいわ。
今の自分は最高だと信じて、勉強していこう。
逆に期待されると、嬉しいけど、プレッシャーになるね。
まあ、でも期待されたほうがいい。
そして私は期待されたい。
こういう風な機械的な人間だけど、
文科系、やっていけるか?
そうか、「やっていけるか」という質問は罠だったね。
「適性」を求めるだった。
この思考回路ができるということは、
私は完全な機械的人間ではないってことで、
やっていけるね。
またまた、罠に入りそうだ、
「やりたい」からだろう?
やっぱり全体的に見てロジック的だ。
でも、つじつまが合うし、そうしかできないからこそ、積極性と自己及び他者信頼に導いて、
経験則は一方、情報を絶えず仕入れていることよりできたセンス、統計的で見たこと遣ったことにより演繹した経験を使う法則で、
歩み寄りは可能であって、
しかし、考え方を変える必要があるね。やっぱり。
とりあえずやることと、整理し続けることね。
2008年5月29日木曜日
慨嘆 - 人生その時
生きるって、何の意味を持っているのか?
そもそも生きるって、時間と言う贈り物が貰えただけ?
死ぬって、本人が分からないが、その贈り物が使えきっただけかもしれない。
最近、いろんなイベントを申し込んだが、いろんな申し込んだイベントに欠席した。
以前に無かった現象だ。
寝るのが遅かったのが原因か。反省しているよ。
今年の休学って言うのは、昔の僕にとっては考えられない話で、
休学するやつの印象が悪かったから、自分が彼らと同じになるのが怖い。
、でも、今年休学することになった、と言うか、した。
しょうがないと考えなきゃと自分に言い聞かせつつ、どこかで何かが欠けている気がする。
自分はもう若くない。
同級生にいつも「若いから、大丈夫!」と言われるが、僕はもう若くない。
「若い」と言うのは、何か基準を置かなきゃいけない単語だ。
僕は人生に社会貢献する成就を達成したい年齢はもう一刻一刻過ぎつつある状態になった。
人生の幸福を手にする年齢も、若さのありがたさを実感する年ごろにはなっていないが、若さを失いつつある。
だから、今は贅沢に貴重な時間を使っているが、その意味を考え直すべき。
何時になったらきちんとした大人に成りきられるのか?
一年って何が重要なのか?
人生に経験が重要だ。
経験のために人生の最初の何年間を生きてきた。
しかし、経験だけではなくて、楽しんでいるうちに経験が身についた。
その経験も、後の人生で使わなければ意味がないのだ。
(賢い人は、経験の結論の物事の間の共通性を見出せるから、若い頃に大きく成就できる)
人間は何をしても無駄にならない。
遊びは一見時間の無駄遣いと見えるが、本人の将来に影響を及ぼす。
信じていれば、世界が変わる。と信じたい。
だからその影響はきっといい影響だ。
自分を知って、うまく利用できればね。
もともと自分は将来のやることにすごく拘っている。
だから失敗するかもしれないと今思った。
だからこそ成功するかもしれないが、その成功って、ひとつの分野においてだけだ。
人生の全般に成功したいなら、失敗と思われることもうまく利用しこなす能力が必要だ。
そう、必要だ。
これは事故の「成果」ということ。
2008年5月28日水曜日
ダイアリーのサイカイ
僕は何時か日記をつけていたな~~~
窓を開けた冷やかな夜は僕の乱れた心を濯いでくれる。
ありがたい。
今の僕は何ができるのか。何が重要か。何が生きていくのに……
。
。
。
空はきれいだ。
音楽もきれいだ。
学問もきれいだ。
けれど、誰のためにあるの?
誰のためにこんなに塵一つ見当たらないほど奇麗なの?
誰のために…
私はこの間に氷山のような重いな変化があった。
その大きさはよその人には分からない。
そうと言っても、自分でもそれが大きくて耐えられないとしかわからないのだ。
人間は弱いよね。
本当になんというか 繊細な硝子細工のように脆弱だね。
強く見えても実は信じられないところで耐えられないで折れる。
不思議なことに、何でも自分で変えられると信じていた自分が、そう言えなくなった。
その出来事さえ分からないから
そして慎重になった。
そして臆病になった。
そして信じられないほど弱虫になった。
なんで?なんで?
と問い詰められても分からない訳だ。
今でも信じられない。
誰か「交通事故に会った」を聞いたら、信じられないと同じようにね。
僕が交通事故に会うなんて、とんでもない!そんなあり得ない。
でも実際に起こった。
と世の中の皆が黙々と僕に告げるばかり。
「冗談じゃないぞ!」と喉がさけるほど大きな声で叫びたい。
泣きたい
なんで自分で初めて人生のかじを取ったと思った時に事故に会わなきゃいけないの?
なんで?
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ママは僕が強いと信じていてくれた。
僕も信じてない時に
だから僕はママにたくさん語った。故郷のお袋よりも
僕は人間が複雑と考えたら、
ママは人間でも単純だと教えてくれた。
僕は元の自分に戻ったらいいなあと思ったら、
ママは今までの自分が本当にそんなに良いのかと聞いてくれた。
私はついていない。
ついていない割には、幸せだ。
本当は幸運じゃない?本当の本当は
でもそもそも運って、人間が解釈できない時の自己慰めじゃないか?
いろんな言葉、実際に意味がない。
奇跡とか。勇気とか。
でも最近、本当に良かったのかと疑問を持ち始めた。
本当に生きてよかったのか?
本当に死ななくてよかったのか?
普通考えるとそうだけど、死んで幸せってこともあるでしょ。
人間の思惑が怖いな~
何を考えているか分からないから。
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ashita mata continue...
2008年5月10日土曜日
明日… 横浜
明日はママに会いに行く。
横浜パシフィクで。(ワクワク!)
当然かもしれないけど、ママは僕の心の中で、憧れになっていた。
どうやって自分もそのように、仕事に情熱(熱愛し)を持って、冴えていて、人に対して親切で…
そのようになることを願っています。
アンジェラ・アキの特集(中学生に会うNHKスペシャル)を見て、これは初めての彼女の顔の拝見であった。
声も顔もきれいし、性格まで分からないが、番組で見る限り、いやな感じがなかった、と思った。
なぜかその後ママが電話してきて、僕はママの声がアンジェラさんとすごく似ていると感じた。
後で考えたら、確かに似ているかもしれない。
ママは北国秋田出身で、とても美人で、頭もいいし。
最も重要なのは生き方にMy Wayがしっかり持っていて、とても幸せのこと。
もし僕はママのような嫁さんもらえたら、どれほど幸せか分からないわ。(^.-)
2008年4月22日火曜日
休学についての意思決定
。
私は、素敵ではない。
。
。
私は休学としようとしている。自分が不幸であるが、もっと不幸になろうとしている。
考えてもいなかったが、今日RAの福島さんに、休学するのはいいけど、ポジティブに休学しないといけない、ネガティブに休学すると、「逃げる」という習慣を身に付いちゃうから、と言ってくれた。
考えられないな~
本当に逃げることが癖になる私は。
自分が不幸であることを認めなきゃいけない。だからどうという話ではない。
私は自分がちゃんと憑いていると思う。本当に不幸だったら、こうならないはずだ。
私は今は生きている!
これで十分だ。
これ以上を追求しても無駄だ。
私は今日、カンさんと話した。
カンさんに出会って本当によかったと思う。
カンさんはここに来て初めて私を助けようとしている人だ。
今日もカンさんが私の部屋に来て、話をしたわけである。
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私は今とても眠いですが、書いている。
書かなければ寝ても朝起きてから後悔することを知っているから。
私はこの何日、必死に休学の理由を考えた。
予習ができるとか、沢山の人と知り合えるとか、この一年間をうまく利用すれば、沢山の将来のできないことが遣れるとか…いろいろね。
そもそも最初私はなぜ休学しようとしているのかを言わなきゃいけない。
合宿のときは来てよかったと思いました。
ママへのメールもそう書いたんだ。
その時に知識はないが、討論を聞いて、「なるほど、こういう考えもあるんだ」と思うから、いいじゃないかと思った。
しかし、合宿から帰ってきて授業がすぐ始まって、毎日ちゃんと予習したいなら、朝の4時過ぎに遣ってしまうから、寝る時間がわずか3時間。
授業で眠いから、寝てしまうわけ。寝ないで聞く気持ちだけど、寝てしまうわ。
それはイカンと思って、早く寝る(それでも、1時半か2時半)ことにしたわけ。
そして事情がわからないので、クラス討議どころか、グループ討議まで分からなくなる。
「現実の世界はこんなに残酷だ」と思った。
そして、「休学して、来年もう一度やり直そう」という気持ちがどんどん強くなる一方。
相談して初めて気づいたのは、
僕はただの逃げをしているんじゃないかって。
たぶん人間関係がうまくいかないのも、勇気がなくて、逃げたせいだと思う。
じゃなければ、キタさんもこんなに私のことをいやに思わなくてすむだろうな~、と切実に思う。
。
逃げている私は嫌いだ。
。
これしかできない私はいやになった。
もっとグループの人と話して、相談もして、自分の話しをして、勉強の仕方についてアドバイスを受けていたら、…それでうまく行けたんじゃないかと今は思う。
自分勝手なことばかり遣って、それで子供っぽいと思われるのだよ。
こんなに単純な理屈はなぜ物事を扱うときに、分からなくなるの?
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今日相談した話の要点を書くと、このとおりである。
1.とりあえず、がんばって遣ったほうがいい。どうしても出来なくなるまで頑張った方がいい。
2.みんな苦しんでいるよ。みんな3時間しか寝ていないよ。みんな授業の半分しか分かっていないよ。日本人もケースを読んで、分からない人が沢山いるよ。…
3.経営者の立場からケースを読んで、分からなければ聞けばいいわけである。先生でもいいし、グループの皆でもいいし、ほかの友達でもいい。とりあえず分からなければ聞くこと。
4.皆がクラス討議のときに発言したことが分からない場合、それは基礎知識から出発しているか、経験から出発しているかを見極め、もし経験からだと、一年予習してもその知識が身につけられないわよ。
5.グループ討議で黙ったらイケナイ!絶対自分が思っていることを聞かなければいけないし、答えがないから、何を話しても「自分の決断」だから、ほかの人は否定できないので、言えばいいでしょう?
6.休学しても、逃げる癖がつくと、もう一回挑戦するのは結構無理なところがある。
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勇気付けられるよね、誰だって。
私は父親から貰った少ない品格の一つは努力することであるから、私だって、頑張りたい。
けれど、本当に追い詰められたように感じるのよ、毎日のように。
まだ前日と今日の討議を自分の中で整理するどころか、エッセンス、内容さえ理解していないので、毎日積み重なると、誰だって、逃げる気分になるもの。(私だけじゃないよね?)
真剣に休学の人生を考えると、計画し始める、じゃないか?
私の考えが甘いかもしれないですが、この1年間、今しか要求することが出来ない。
1.将来「その一年があれば…」、と思うとき、後悔するかもしれない。
2.予習がしっかりと出来るから、それによって、来年の討議では結構楽になるし、自信がついていくと思う。
3.私はM31だけど、M30とM32の人しか知り合えない。1年延ばしたら、M33の人も知り合えるし、M32の人と仲良くできる。
4.インターンシップをやれるのだ。この1年を利用して。経験もつむから、自信がつくでしょう。
5.他のいろいろな活動。「今年があってこそ、成功した」と思う日が来るかもしれない。
6.自分の自己管理をもっと勉強する(誰にも悪い影響を与えずに)機会はこの休学で与えられる。
7.車の免許を取りたいし、英語、簿記の資格を今年が休学したら、取りたい。
8.就職活動を予めやって、本番になったら順調にできる予想。
9.そんなに評価、成績のことを心配しなくてすむ。
だけど、今日の話をして、本当に出来るかどうかが問題であることがいっぱいあるよね。
出来ればいいけど、出来なくて、実際に状況が想像より甘ければ、休学しないほうがいい。
4,5,6,7,8はそうだ。
けど、今日の話(休学しない方)のポイントも、2,4,6は「利益」ではない話。1,6は休学を含む話。
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こういう決定も、私が先日言った「遣りたくない決断」の一つだよ。
まずはこれからの状況をハッキリさせましょう。
1.段々とピッチが上がって、授業で準備する資料が多くなるでしょう。試験ともろもろの事情もあるし。もっと疲れる。もっとストレスがたまる。
2.今日の話があるので、たぶんある程度改善が見込まれる。グループの人と交流し合い、わからないことを聞く。ちゃんと予習をする。それでも分からなければ、それでいい。皆が分からない。
(けどこれがあって、まさに休学の方が何のデメリットもないようになるから、“あれ”は受給可能だったら僕は休学。)
3.休学すると一年のロスが出るけど、それは確かに大きいけれども、来年もっとしっかり勉強できて、体も脳も一年のリハビリで十分使い物になれれば、それでどれくらい頑張ってもいいじゃないか?
(苦しいのは僕だけじゃないかもしれないけど、何で苦しみを感じながら勉強するんでしょうか?もっと楽しく勉強しようぜ!)
4.あとはもし休学する場合、自己管理をしっかりとしないとだめ。スケジュールを毎日整理して、やるべきことをしっかりとやる。計画をしつつ、更正をしつつ、多分監督してくれる人がいる。それをだれにしようか?……
自分の現在の決定は:まずはできるだけ長く授業を受け続ける。そして、休学する。その時にママに監督をやってもらおうかな~
2008年4月20日日曜日
なぜこのような名前を付けたか
このブログを見るあなた、「海辺に立つ男」という名前に疑問を持っていますか?
http://h0wind.spaces.live.com/blog/cns!4D455B7CCBBA17B9!206.entry
僕のこれ以前のブログです。
まだ日本語が上手ではないですが、なぜこの名前を付けたか分かります。
2008年3月23日日曜日
お母さんに対する感情 お母さんの気持
とりあえずは嬉しかった。
北川お母さんが悩み(悩みとは言えないけど、ただ甘えただけかも)の相談に乗ってもらった。
僕の紹介で入って一年間住んでた人と僕より親しい→
感じであったことをすごく不公平に思ってしまったわけであった。
こころざしが違うから、意思決定の仕方も違うし、判断の基準も違うので、
もともと実際その人と住む世界が違うので、友達になれないはずですが、
たまたま一人で生活したいと僕に言ってきて、しかも寮の申込期間が過ぎたと言って、
お母さんのアパートに空き部屋があって、空いてるともったいないし、
お母さんを手伝いできることをいつも期待しているから、紹介したわけであった。
彼は僕の友達だ。
しかし、そんなに知っていない友達だった。
彼は僕の同級生と大学の同じ学科の同じコースに入ったことで、僕と知り合ったわけだ。
何回かパソコンのトラブルの相談に乗って、彼と「友達」になった。
彼にはすぐに知らない人に馴染みつく一種の魔力があるか知らんが、僕ともその時に親しくなって。
しかし、全然付き合う人が違うし、彼の友達とどうしても懐きできない部分が僕の中に会って、
一旦、その輪の中に入ってしまうと、僕もそのようになる気がするから。
友達だけど、彼の友達を僕は知っていない。
そして今日、お母さんに相談したら、困った顔をしてたわ。
「ゆーさんを差別するなんて全然思ってないよ」とお母さんが言った。
「拒絶になったの?」って聞いていた。
「_さんはパソコンのことを助けてくれたのは一度もなかった」
「年賀状のとき、何度か_さんに助けてほしい時があっても、寝ているか、話し中であるか、すごく頼みにくい」
「いつも何をやっているかも知らずに、『ゆーさん』と呼んで頼んでいるから、今考えると申し訳ないと思う」
「今でも、ゆーさんを呼ぶほうが多いぐらいよ」
「ゆーさんなら一度でできるけど、他の人に頼んで2、3回やってやっとできる」
「_さんも心配していたよ、一緒に泣いていたし、何回か部屋出る時に泣きながら出てきた」
「トトちゃんのお世話を一緒にやったよ」
「今から_さんもゆーさんのことを気にするじゃないかな」
「_さんが無遠慮とは思わない。あの人も遠慮するよ。いいですって」
「押し付けと感じて、心配な時もあるが、_さんも結構押しつけられたと思うが」
「表面的に_さんを知っているけど、本質までは…、ゆーさんのことなら、考えればわかると思う」
「お見舞いに行く大切さは、入院の経験があって初めて分かってくるので、これからは他の人が入院するときに、お見舞いに行ってね」
「ゆーさんが入る前に私がそんなにアパートの方に行かなかったよ。差し入れも入れなかったよ。」
「18歳に家のアパートに入ったゆーさんのことが気になって、私が守らなきゃと思って、それからはアパートへ行くようになった。」
「これからはどうなっていくのか分からない。留学生はいるが、皆が大学院生になって。_さんも4年生になってから入ったでしょう?」
「私はできる範囲のことをやっただけで、皆が楽しく過ごせばいいわけだ」
「東京に行ったら、私が連絡しようとしても、相手が連絡してくれないと続かないから、やっぱり相手を見てやるしかない」
「_さんはマメなので、メールも即返事するから、それでコミュニケーションが取れたよね」
「私は甘えられる方がうれしいよ。_さんが2回も薬を頼みに来てくれたが、この間ゆーさんも膝をけがしたじゃない?血だらけでも、頼みに来ないのが悲しかったよ。そして薬を持って行ったんじゃない?」
「たくさんメールをすることが迷惑と思う人もいるが、私は嬉しく思うよ」
「いやな思いをさせて、ごめんなさいね」
結局このメールを送ってくれた。
「張さんとゆーさんしか私をお母さんと呼んでくれません _さんも大家の北川さんとしてしか受け止めて頂けない関係の侭お別れになります 大事な大事なゆーさんですよ 遠慮しないでどんどん甘えて下さい又名古屋に来て泊まって下さい _さんとの関係も私が壊してしまったとしたら最悪です 仲良しでいてください 私の最後のお願いです」
お母さんのせいではないですよ。泣きたいです。
本当にこんなに優しいお母さんに恵まれて、幸せだよね。
他の人にも優しくしたら、僕が焼きもちを焼くのは当たり前に思うが、
やはり子供ですね。いろんな意味で
お母さん、僕は大人じゃなくて、切ない思いをさせてごめんなさい!
お母さんが僕のことを大事にしてくれていても、気づかない僕の鈍さに自分でも唖然だったね。
お母さんの気持ちを理解して、もっと嬉しくさせられなかった自分が大バカだ!
何で、言われるまで気づかなかったのか?やはり遠慮すると、気づかないのかな?
何でもっと早く聞こうとしなかっただろう?自分のことに夢中しすぎたのか?それとも、聞いたら失礼と思ったのか?
そんなに僕のことを大事にしてくれたのに、今まで気づいていなかった。
たぶん今度の怪我がなければ、こう聞こうとしなかったのだ。
お母さんに感謝している。感謝という単語があらわせないくらいありがたく思う。
お母さん知っているか?お母さんの信頼がなければ、今の私はなかったと思う。
お母さんが僕の1年生の時に、信じてくれたことは心に残って、この一生の宝ものだ。
他の人の信頼を勝ち取る努力はするようになったのは、その後だ。
これからも、どんどん呼んでください! 「ゆーさん」ってね。
2008年3月12日水曜日
卒論の謝辞
この 1年間、卒業研究を行うにあたり多くの人のご協力を頂きました。 特に、10月中旬に交通事故にあいまして、研究室のみんなを始め、工学部の先生たち、留学生関係の先生たち、領事館の方たち、留学生学友会の皆さん、留学生の友達たち、日本人の友達たち、大家さん、社会活動(インターンシップなど)で知り合った方たち、病院の先生たち、看護婦さんたちに助けていただいて、この命を取り留めて、何とか卒業出来るようにできて、本当にありがとうございます!この命は皆さんあっての命です、一生感謝しています。
指導教官である美宅成樹教授には研究について詳細まで教えて頂いたことをはじめとして、人生の座標を私に与えたといっても過言ではなかろう。抽象化の大切さ、自分の歴史観、悩みがあるときに前向きに悩もう、人生は夢だといった考え方が私一生に資するだろう。こんなに素晴らしい先生と出会えて、それも指導教官になられたなんて、この人生に幸運だと思います。ありがとうございます!以前、授業を受けた時美宅先生がやさしい方だと思って留まったが、やはり、今度の事故によって、与えられたチャンスだと思うが、本当に素晴らしい方だと認識できてよかったです。しかも、脳損傷の経験から私のことを考えてくださって、お忙しいのに助言と両親の説得に力を尽くしてくださいました。もっと話し合ったら、私のことを一番わかってくれる人だと思いました。美宅教授は私の人生で忘れることのできない方となりました。ご指導いただき御礼申し上げます。
園山正史准教授、横山泰範助教、博士研究員の柯閏聡氏は私が入院する間病院に何度も足を運んで、私を心配して病院の先生に私の体調を聞いてくださいました。卒業出来るように、病院に外出を申し込んで、私を3ヶ月間別れた研究室に車で連れて戻りました。卒業研究発表直前に、私たち 4 年生の発表練習のために貴重なお時間を割いて頂き、適確なアドバイスをして頂きました。園山先生は私が単位無事にとれたと聞いたとたん、とてもうれしくて、何度も「すごい!」とおっしゃいました。後で、私のパソコンの画面で確認したとき、「すごい、これは第三の奇跡だ」とおっしゃって、私はとても感動で、泣きそうでした。 博士号取得したばかりの崎山則征氏は、お忙しいのに、知識の乏しい私が悩んでいる際、貴重なお時間を割いていただき詳細な部分までご指導頂きました。改めて御礼申し上げます。博士課程2年の根岸瑠美氏と秘書の桝谷亜希子氏二人は、病院に何度も見舞いに来て、桝谷さんが題目を見ても大好きな本を何冊も持ってきて、根岸先輩が葉書を書いてくださいました。本当に本心から書いていた話なので、読んでいるうちに思わず笑ったり、泣いたりしました。私の早い回復に皆さんの支えがあって初めてできたのです。
また、博士課程3年の澤田隆介氏、修士課程2年の三谷優貴氏、特に技術補佐員の朝川直行氏には卒業研究の最後まで丁寧にご指導頂き発表と論文にとても実用的な助言をしてくださいました。博士課程3年の谷澤英樹氏には Perlを用いたプログラミングの知識をご指導頂きました。博士研究員のガンガ氏は自身の経験を打ち明け、慰めてくださって、そのおかげで私は安心できました。修士課程1年の成重太助氏には、とても温かいご相談、話し合いをしていただきました。博士課程1年の山田達矢氏には研究について質問しやすくて、わかりやすく説明していただきまして、以外にも興味深い話を多く聞かせて頂きまして、根岸先輩と研究生活にかけがえのない存在でした。修士課程2年の小糸直希氏、榊原忠明氏に私の職業指導授業の単位の取得に大きな力を注いでいただきまして、発表のための準備をしている際、親身になってアドバイスを提供して頂きました。その他にもいろいろな生活面、研究面の助言と励ましをいただいて本当にありがとうございます!
お世話になった方々に改めて御礼申し上げます。
また、同輩である4年の辻信弥君、東陽介君、杉本一晃君とは悩んでいるとき辛いときに励ましあい、嬉しいことがあったときには皆で喜び合い、かけがえのない存在でありました。これから就職する方、進学する方と道は別々となりますが皆さんのご活躍をお祈りいたします。
最後、両親にささげたい言葉があります。心配させてごめんなさい。両親が無ければ色んな意味で今の私がいないだろう。学ぶべきことが多かった4年間の日本での大学生活を最後まで支えて頂いて感謝します。
2008年3月2日日曜日
美宅先生へ【東京に行くことについて】
その話をずっと頭の中で考えた。
その話を理解しようと必死だった。
慶応をあきらめたほうがいいか?
中国に帰ったほうがいいか?
考えられなくもないんだが、けれどいろいろな要素を考えると、やっぱり行きたいと思った。
なぜ私が東京にやはり行くと、気の毒に思うかを考えた。
先生に “悪いことをいいことにする” とおっしゃった。
それは、たぶん 私が能力的に出来ないにもかかわらず、
前に立てたプランを変えたくないだろうと、ご推測したのだろう。
そして、失敗したときに、怪我のせいにするかも知れない。で、こう考える様になる。
「僕はなぜ怪我をしたのか?怪我をしなければ良かった。」
そのような罠にはめられたら、僕自身も可哀そうに思う。
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けれども、人間は自分を変える能力を持っている優れた生き物だ。
先生の話で、こんなこともあるのか、と私が注意をかけられた。
確かに、そう思うかもしれない。けれども、私はそれほど能力が落ちていない。
人間には2%の脳細胞しか使っていない。
人間には自己修復の能力を持っている。
この前のテレビ番組で、リハビリによって、運動能力が結構回復できることを説明した。
たぶん運動能力だけじゃなく、思考能力も、判断能力も、記憶力も、洞察力もそうだ。
そして、そんな風に考えたら、先生の話が思い出すから、
当時、自分の必死に考えた挙句、下した決断だから、後悔しないと思うし、
罠にはめられないと思う。
心理学の本を読むと、自分を受け入れることが一番大切であることがわかった。
事故った僕も僕だから、受け入れなければならない。
それを受け止めて、最善のために努力しなければいけません。
この一ヶ月間の学校生活、美宅先生、ありがとうございます!
先生がいらっしゃったからこそ、この一ヶ月間の学校生活ができた。
この一ヶ月間の生活で、自信が沢山ついてきた。
東京に行っても、大丈夫に思った。
先生のおかげです。
しかも、記憶にない事故のことも、良い面を考えることになった。
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私はすごく幸運だと思う。
運命が私に「成功してこい!」と言っているようだ。
周りの人たち、私を心配して、将来を考えるあなた、ありがとうございます!!
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事故で、いろいろ前に気づいていないことを気づいていた。
私が必ずしも覚えていることが正しくないこと。
私がやっていることが必ずしも正しくないこと。
人間関係は、正しいことを強調するではなく、相手を信じて支持することが重要であること。
人間に一番重要な素質は「考えを変える」ことで、すなわち「どうやって物事を捉えるか」をコントロールこと。
思い込みがいけない。相手が僕を好むと設定する状態で付き合ったら、相手に迷惑をかけるかもしれない。
人間には他人の手助けが必ず必要であること。なぜSocietyにいるかを考えたらわかる。
助け合いしなければ、社会が成り立たないし、人間って、見た目が強くても、弱い生き物だ。
確かに書くことは、「忘れてもいい」と考えたかもしれない。
しかし、こんな経験がないでしょうか?
「忘れてもいい」と考えて、書いたら、書かないよりちゃんと覚えている。
「書かなくてもいいのだ」と思ってしまう。
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事故があったおかげで、両親との距離を縮めることができた。
もともとは両親とギクシャクしてたんだ。
お父さんには、僕は小さい頃の経験から、批判といやな思い、そしてお父さんが自己表現欲とコントロール欲が強すぎること、家族に自分のことを話さないことを格好いいと思う面があって、
お母さんには、心配しすぎることと自信がないことと何でも一人で我慢することがあって、
お母さんは、お父さんにいつも叱られるし、お父さんは、お母さんが依頼しすぎたと思って、両親の間で問題がもっと大きい。
いつも両親と仲良くみんなで楽しく過ごすことができないけど、まあある意味、日本に来る時点で、ほっとした。私がいなければ、両親の仲が治るかなとでも思った。
ある意味、両親にすごく心配させた。反面、僕の生活の環境を見せられて、安心させられる面がある。
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園山先生と柯先輩は何度も足を運んで、病院に僕の病状を聞きに行ったこと、ありがたく思う
園山先生は私が単位無事にとれたと聞いたとたん、とてもうれしかった。何度も「すごい!」とおっしゃった。後で、私のパソコンの画面で確認したとき、「すごい、第三の奇跡」とおっしゃって、私はとても感動だった。泣きそうだった。
こんなに私のことを心配してくださるなんて、とても感動だった、「ありがとうございます」を何度も繰り返して言った。
柯先輩も僕の研究のことを病院で相談して、慰めてくださった。なんてやさしい人。
崎山先輩も僕の研究を助けてくださって、卒業出来るようにしてくださった。ありがとうございます!
根岸先輩と桝谷お姉さん、何度も病院に来てくださって、ありがとうございます!桝谷お姉さんが大好きな本を何冊も持ってきて、根岸先輩が葉書を書いてくださった。本当に本心から書いてた話なので、読んでいるうちに思わず笑ったり、泣きそうになったりした。
研究室の人はともかく、他の人たちも見舞いに来てくださって、ありがとう。
わざわざ京都から来た中学時代の友達張、ありがとう!
わざわざ横浜から来た中学時代の同級生、高校時代の友達薛、ありがとう!
これからよろしくね!
千羽鶴を折ってくださった人たち、顔さえあったことがない人たち、ありがとうございます!
2008年3月1日土曜日
東京に行く理由
事故にあったのは不幸ではあるが、今の私にとってはある意味よかったと思う。
慶応のMBA合格して、入学手続きをしてから起こったんだから、
そこに行く可能性が残された。
そして、工学部の授業以外の単位を全部前期に撮り終わったので、
卒業の可能性が残された。
体に骨折などなくて済んでよかった。 →卒業するのに発表が必要なのでみんなの前で立たなきゃいけない。
脳の傷はあるが、手術しなくて済んでよかった。 →手術したら、脳細胞が確実たくさん死んでしまう。それに、頭の上に骨が弱いところが出ると…
事故の相手の車が保険に入ってよかった。 →わざとじゃないのに、保険でなければ、その様な事故をしたら、大変だよね。
今の状況では、東京に行くことができるようになったような気がする。東京で、いろんな出会いと、キャリアに有利なチャンスがあふれて、夢を実現するのに頑張れる。
そして、なぜ行くかといったら、今まで他の人が私の人生の方向を左右している気がしなくもない。今回はちゃんと私自分で下した決断だから、運動エネルギーが足りないってことはない。
僕にとって、今のタイミングが一番いいと思う。
4年生の最後だから、アルバイトなどもあまりできないし、社会活動もあまりたくさんができない。この半年、僕が自分に与えたタスクはたった一つ:「無事に卒業出来ること」。なので、入学手続きを終えたあと、すぐ卒業研究に集中したいことがまだ覚えている。
それから、事故が酷かったこともよかった。
些細な事故だったら、その時の記憶が残っているはずだ。その時のことを思い出して、後悔したり、痛さを覚えたり、精神的に追い込まれかねない。
僕の場合、ショックでその日の記憶が全然なくて、友達の話によると、たぶん山之上体育館で筋トレをやった後、2人の友達がその日僕のうちで待ち合わせをした約束があるそうで、山から家に帰る途中だと思う。
ある意味、記憶がないことが私を救ってくれた。
血が沢山出て、痛かったと思う。目が覚めてから、全然覚えていないから、夢の中にいるみたい。なぜ病院にいるのか、なぜ両親がそばにいるのか、なぜ学校の先生、うちの大家さん、友達たち、みんなが僕を見てくるのか、なぜ私の右半身が動けないのか、なぜ私が喋ろうとしても声が出ないのか…全然疑問が持ていなかった。
全く子供が成長してきたように、生まれる時に自分がなぜ病院にいるのかについて問わないのと同じようだ。
最近お母さんが、「この半年、嵐のようだったね」という。
僕がなぜ?と聞いたら、「雨もあったし、風もあったし、なんでも経験したね」。
補充に「夢にも想像できないことをね」。
まあ、人生はなんでも一回経験しないといけないというじゃない?
これで、みんなが「大難不死、必有後福」と言ってくれる。全く実感がないけどね、覚えていないから。
そして、社会を経験した。もっと適切な表現は、日本の社会の特性を身を沁みて感じられた。
助け合い、人間の温かさ、友情の温もり、お母さんの愛、お父さんの愛、この事故が起こらなければ、たぶん一生これをこんなに深く感じられないだろう。
この事故で、私の運が良かったと思う。
頭を強く打って、全身の血を入れ替えた以上の血液を輸血したにもかかわらず、こんな元気になって、日記を書くことができるなんて。
両親も、最初私の情報を聞いたら、ショックで立っても座ってもいられない。日本に来た時、私を見たら信じられなくてまたショックを受け、ご飯も食べられなくて夜寝られないまま、一か月過ぎたらしい。お母さん一回僕が意識回復した後に風邪をひいた。
でも、ちゃんと今のように元気になって、倒ることがなくて済んで良かった。
私が死ななくてよかったと思うのは、こんなにたくさんの人が僕のことを心配してくれて、私が回復につれて、だんだん明るくなる、本心からうれしく思う人たちに何でも出来なくてそのまま死んでしまうことが悔しいからだ。
実際僕はお母さんを日本に呼ぼうと思った。
なかなか仕事があって、そんなに遠くに行けないというお母さんは、これで初めての出国の経験になった。あまりにもつらい経験だが、回復してお母さんをうれしく出来て、良かったと思う。お母さんはいつも一人で何でも耐えて、我慢して生きてきた。これから幸せにしてあげられないことになったら、悔しく思う。
僕が出会った病院の先生、看護婦さんたちも素晴らしいことに神様に感謝している。
違う病院だったら、私が死んでいたかもしれない。
違う病院の先生だったら、同じく私が死んでいたかもしれない。
今度の事故で、私は世の中を以前よりも、はっきりと見える気がする。
世の中の人の間のつながり、世の中の愛情、世の中の憎しみ、世の中のチャンスなどが今度の事故があるこそ、深く考えるチャンスが与えられた。
そして、私がこんなにたくさんの心配してくれる人、かわいそうと思ってくれる友達、助けてくれる先輩、友人がいるのが、すごく幸せに思う。
事故があってこそ、私はこんなにいい友達がいるのだと考えた。
事故があってこそ、私は今まで友達を作ってよかったと思った。
事故があってこそ、私はこれからもっといい友達を作って、助けてくれた人にも助けてあげたいと思う。
名古屋領事館の先生たちと名古屋大学の先生たちが私のことを心配してくれた。
このことで、人間がいつまでも希望を捨てちゃいけないと思った。だって、どんなに窮境に追い込まれても、必ず見方が存在して、助けあってやっていこう。
エキサイカイの宮崎先生に出会ったことにすごく感謝している。
日本のお母さんじゃなくて、日本のママと呼ぶほうが相応しいかな?
とても優しくて、私のことを心配してくださった。今度の事故がなければ、私が一生この出会いがなかったでしょう。運命的な出会いだと思う。
輝きだと思う。「ママ」とあったら、なぜかうれしい。何回も脳外科の診察室の外で静かに座っていた。私のことを思ってくれる人がドアの向こう側にいるとわかり、そこにいるだけで、落ち着いた。
私がやりたいことに本当に分かってくださって、卒業にも、進学にも、前向きな助言をしてくださった。
前一回、うちのお母さんと口ケンカしたとき、どうしようもないときに来てくださって、お母さんを慰めることができた。うちのお母さんも、宮崎先生が「他人をこんなに理解できることがすごい」と言った。
名大に研究室ごと東京農工大から引っ越してきた美宅先生にも感謝している。
こんなに素晴らしい先生と出会えて、それも指導教官になられたなんて、この人生に幸運だと思う。
ありがとうございます!
以前、授業を受けた時美宅先生がやさしいと思ったが、こんなに素晴らしい方だと思わなかった。
やはり、今度の事故によって、与えられたチャンスだと思うが、本当にいい人だ。
しかも、脳損傷の経験から私のことを考えてくださって、お忙しいのに助言と両親の説得に力を尽くしてくれた。もっと話し合ったら、私のことを一番わかってくれる人だと思った。
2008年2月4日月曜日
学校に来た日
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切ないな~
何で僕が僕に戻るのに頑張らなきゃいけない?
何で僕が以前簡単にできるものを今一生懸命やらなきゃいけない?
でも、今日学校にきたので、頑張ります。
卒業に向かって頑張ります。
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両親はまだ日本にいるわけですが、
すごくなんだか不自由が感じられる。
幸せのはずなのに、、お母さんを日本に呼ぼうと思ったのに、、日本で4年間両親と離れて一人で暮らしたせいか、なぜか両親のアドバイスを聞くといらだつ。
それでも、私は後悔していない。
私は自立したことを誇りだと思っている。
私は中国での生活よりも、日本での生活をずっと大好き。
日本でずっと暮らしていきたいとでもまじめに考えているの。
神様、どうか私を死なせなかった。
どうか私の望みを叶えてください!
お願いします!!