2008年3月1日土曜日

東京に行く理由

幸か不幸か、私は事故にあった。

事故にあったのは不幸ではあるが、今の私にとってはある意味よかったと思う。

慶応のMBA合格して、入学手続きをしてから起こったんだから、
そこに行く可能性が残された。
そして、工学部の授業以外の単位を全部前期に撮り終わったので、
卒業の可能性が残された。

体に骨折などなくて済んでよかった。 →卒業するのに発表が必要なのでみんなの前で立たなきゃいけない。
脳の傷はあるが、手術しなくて済んでよかった。 →手術したら、脳細胞が確実たくさん死んでしまう。それに、頭の上に骨が弱いところが出ると…
事故の相手の車が保険に入ってよかった。 →わざとじゃないのに、保険でなければ、その様な事故をしたら、大変だよね。
今の状況では、東京に行くことができるようになったような気がする。東京で、いろんな出会いと、キャリアに有利なチャンスがあふれて、夢を実現するのに頑張れる。

そして、なぜ行くかといったら、今まで他の人が私の人生の方向を左右している気がしなくもない。今回はちゃんと私自分で下した決断だから、運動エネルギーが足りないってことはない。


僕にとって、今のタイミングが一番いいと思う。
4年生の最後だから、アルバイトなどもあまりできないし、社会活動もあまりたくさんができない。この半年、僕が自分に与えたタスクはたった一つ:「無事に卒業出来ること」。なので、入学手続きを終えたあと、すぐ卒業研究に集中したいことがまだ覚えている。

それから、事故が酷かったこともよかった。
些細な事故だったら、その時の記憶が残っているはずだ。その時のことを思い出して、後悔したり、痛さを覚えたり、精神的に追い込まれかねない。
僕の場合、ショックでその日の記憶が全然なくて、友達の話によると、たぶん山之上体育館で筋トレをやった後、2人の友達がその日僕のうちで待ち合わせをした約束があるそうで、山から家に帰る途中だと思う。
ある意味、記憶がないことが私を救ってくれた。
血が沢山出て、痛かったと思う。目が覚めてから、全然覚えていないから、夢の中にいるみたい。なぜ病院にいるのか、なぜ両親がそばにいるのか、なぜ学校の先生、うちの大家さん、友達たち、みんなが僕を見てくるのか、なぜ私の右半身が動けないのか、なぜ私が喋ろうとしても声が出ないのか…全然疑問が持ていなかった。
全く子供が成長してきたように、生まれる時に自分がなぜ病院にいるのかについて問わないのと同じようだ。


最近お母さんが、「この半年、嵐のようだったね」という。
僕がなぜ?と聞いたら、「雨もあったし、風もあったし、なんでも経験したね」。
補充に「夢にも想像できないことをね」。
まあ、人生はなんでも一回経験しないといけないというじゃない?
これで、みんなが「大難不死、必有後福」と言ってくれる。全く実感がないけどね、覚えていないから。

そして、社会を経験した。もっと適切な表現は、日本の社会の特性を身を沁みて感じられた。
助け合い、人間の温かさ、友情の温もり、お母さんの愛、お父さんの愛、この事故が起こらなければ、たぶん一生これをこんなに深く感じられないだろう。

この事故で、私の運が良かったと思う。
頭を強く打って、全身の血を入れ替えた以上の血液を輸血したにもかかわらず、こんな元気になって、日記を書くことができるなんて。
両親も、最初私の情報を聞いたら、ショックで立っても座ってもいられない。日本に来た時、私を見たら信じられなくてまたショックを受け、ご飯も食べられなくて夜寝られないまま、一か月過ぎたらしい。お母さん一回僕が意識回復した後に風邪をひいた。
でも、ちゃんと今のように元気になって、倒ることがなくて済んで良かった。

私が死ななくてよかったと思うのは、こんなにたくさんの人が僕のことを心配してくれて、私が回復につれて、だんだん明るくなる、本心からうれしく思う人たちに何でも出来なくてそのまま死んでしまうことが悔しいからだ。

実際僕はお母さんを日本に呼ぼうと思った。
なかなか仕事があって、そんなに遠くに行けないというお母さんは、これで初めての出国の経験になった。あまりにもつらい経験だが、回復してお母さんをうれしく出来て、良かったと思う。お母さんはいつも一人で何でも耐えて、我慢して生きてきた。これから幸せにしてあげられないことになったら、悔しく思う。


僕が出会った病院の先生、看護婦さんたちも素晴らしいことに神様に感謝している。
違う病院だったら、私が死んでいたかもしれない。
違う病院の先生だったら、同じく私が死んでいたかもしれない。

今度の事故で、私は世の中を以前よりも、はっきりと見える気がする。
世の中の人の間のつながり、世の中の愛情、世の中の憎しみ、世の中のチャンスなどが今度の事故があるこそ、深く考えるチャンスが与えられた。

そして、私がこんなにたくさんの心配してくれる人、かわいそうと思ってくれる友達、助けてくれる先輩、友人がいるのが、すごく幸せに思う。

事故があってこそ、私はこんなにいい友達がいるのだと考えた。
事故があってこそ、私は今まで友達を作ってよかったと思った。
事故があってこそ、私はこれからもっといい友達を作って、助けてくれた人にも助けてあげたいと思う。


名古屋領事館の先生たちと名古屋大学の先生たちが私のことを心配してくれた。
このことで、人間がいつまでも希望を捨てちゃいけないと思った。だって、どんなに窮境に追い込まれても、必ず見方が存在して、助けあってやっていこう。

エキサイカイの宮崎先生に出会ったことにすごく感謝している。
日本のお母さんじゃなくて、日本のママと呼ぶほうが相応しいかな?
とても優しくて、私のことを心配してくださった。今度の事故がなければ、私が一生この出会いがなかったでしょう。運命的な出会いだと思う。
輝きだと思う。「ママ」とあったら、なぜかうれしい。何回も脳外科の診察室の外で静かに座っていた。私のことを思ってくれる人がドアの向こう側にいるとわかり、そこにいるだけで、落ち着いた。
私がやりたいことに本当に分かってくださって、卒業にも、進学にも、前向きな助言をしてくださった。
前一回、うちのお母さんと口ケンカしたとき、どうしようもないときに来てくださって、お母さんを慰めることができた。うちのお母さんも、宮崎先生が「他人をこんなに理解できることがすごい」と言った。

名大に研究室ごと東京農工大から引っ越してきた美宅先生にも感謝している。
こんなに素晴らしい先生と出会えて、それも指導教官になられたなんて、この人生に幸運だと思う。
ありがとうございます!
以前、授業を受けた時美宅先生がやさしいと思ったが、こんなに素晴らしい方だと思わなかった。
やはり、今度の事故によって、与えられたチャンスだと思うが、本当にいい人だ。
しかも、脳損傷の経験から私のことを考えてくださって、お忙しいのに助言と両親の説得に力を尽くしてくれた。もっと話し合ったら、私のことを一番わかってくれる人だと思った。

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