2007年6月29日金曜日

人間関係のジレンマ -お母さん、どうすればいいの?

人間関係って難しいよね。

良くしようとする時に、逆に相手に傷つくとことがある。
日本のお母さんが私にいろいろ注意して、いろいろ助けてくれて、私は謝るつもりで、いろいろ言ったが、お母さんに「注意の件で非常に驚く事ありで、留学生の方の受入の是非を考えさせられました。 亡くなった義父母主人は反対の意志が強いですが劉さん張さんと良い方が続き私に任された形なんですが。皆に気持ち良く住んで頂きたいだけです」と言われた。

何で!!なんでだ!
私は叫びたい気持ちだった。

なんでこんなことになろんだ。
私は個人の事情をお母さんに話したが、それが原因なら、悲しいです。親しくしたくて、幸せにしたくて、迷惑をかけたくないという思いやりだったけど、「今朝の件は何の問題も感じていませんが注意をすることが非常に重たく感じ始めていますもう後わずかな時間でしょうから気持ち良くお過し下さい。私の度量は日本人の学生さんを応援する位のものと自覚し始めています。」→これは、あなたの親しさが必要ではない、あなたの思いやりなんか、耐えられない。と言っている感じがしてしまう。

何で?
お母さんに何も交流しないときに、かわいそうに思われたか、大変と思われたか、いろいろ助けてくれた。
自分の本当の気持ちを言ったら、お母さんに理解されて、慰めてくれたり、理解してくれることを期待していたが、まったく逆のことが起こって、「あなたがここに住んではいけない」ことになっては、私は悲しい限りだ。

何をすればいいんだ?何を考えたらいいんだ?
(「何を考えたらいいか、何を思ったらいいか」と書くのが、心から違和感を持っていた。考えることは個人の自由で、最低限の自由だ。気持ちまで強制されることはよからぬことだと思う。)
しかし、私にはなぜそんなことになったかがさっぱりわからないので、解決策を見つけるはずがないわけだ。

お母さんの気持ちがわからない。
どんな気持ちで私を助けているかを聞いたら、「布団の件もやはり私から切り出さないと解決しないって事ですよね。今月末迄に環境事業局に申し出で、来月第一水曜の朝家の角に出しますコンビニで処理費のチケットを500円だったと思いますが買って張ります。カレーは要らないんですね。悩みますと言うことで有れば悩まないでと言っても仕方ないのでー 私から聞きますがどう思われているか知ってどうされるんですか。扇風機の尋ねにも答えられていません。このメールから私がどう思っているかお分かりに成ると思います。」
私はどのように思って私のことを手伝って続けていたかを知りたかったが、それはいけないですか。
私はお母さんのことを、実お母さんと思っていたが、私のことを、息子のように叱って、成長させて、手伝っているか、それとも、人が大変だから、助けるのは自分にとって当然なことなのか。
私はそれが知りたかったのだ。

そのおくってきたメールに対する理解の仕方を述べとく。
①しっかりしてほしいが、やはりやらなければいけない。迷惑だ、自分でやれ。
②カレーは食べてほしいが、何で話にのらないのだ。
③自分のせいで、兪が悩んでほしくない。
④いっつもはっきりとした答えが来ないので、困っているのだ。
⑤私が起こっている。わからないのか?素直に助言に乗ればいいのに。

解決策を探すために、もっと深くお母さんと話さなければいけない。
しかし、たくさん話すと、お母さんに嫌われる。

これは、ジレンマですね。


自分が子供みたいに、お母さんを頼りにここまで来た。
お母さんがたくさんしてくれて、私ができる限りお母さんのためになって、いろいろ助けてあげたい。

パソコンが壊れた時に、自分ができることをすべてやりたい。
何か運ぶ時も、いろいろやってあげたい。

それでも恩が返せないのに、お母さんに嫌われて、「出てけー」と言われたら、しんで終おうと思ったわけだ。
別に私が弱い人で、助言に耐えられないわけでもない。

お母さんの気持ちを確かめたくて仕方がなかった。
私に普通の人として何も思っていないか、それとも私と同じように少し愛着が生じたのか。
私がお母さんと胡さんと精一杯話すときに、悲しくなるのはそれだけだ。お母さんが、半年ここに住んでいる胡さんと私に対して同じ態度をとっているということは、私は何の特別な意味も持っていなくて、ただここに居候している学生だ、と思っている可能性が大きかったからだ。

私が望んでいることは、お母さんと仲がよくて、助け合って、将来私もお母さんのためになるように約束ができるくらいまでなって、それなら、素直にいろいろな恩情を受け入れても、違和感と恥ずかしさが感じなくて、自分ありのままでいられる。しかし、今はそんなに恩を受けながら、お母さんに傷つけながら、ここでいることは、心理的にダメージを受けすぎて、このうちから出ようと真剣に考えていた。

決してそれが解決方法ではない。心理負担から逃げる道なのだ。
お母さんと仲直りもできなければ、自分が一生それを負担して、親しい人とあったら思い出して、親しく慣れない可能性まで考えられる。

お母さんが、私を一般の留学生と思って、日本の社会に適すことができなかったことがかわいそうだ、とでも思って、世話したのなら、私は悲しいけど、それを知ったらほっとする。お母さんが私のことを好きにしてくれていて、本心で助けたいのだったら、私は嬉しくて、ほっとする。どっちも私がほっとすることになる。
お母さんも私のことを気にして、話をしている。それが一番怖いのだ。それだと、お母さんが本当に考えていることが分からないのだ。私がほかの人の迷惑になっているから、アパートに住んでほしくないと思っているか;私が将来もっと良くなることを信じて、逆のこと言って、励ましてくれているか。わからないのだ。

それとも、私がお母さんにしたしくしようとすること自体が問題にあるのか。
お母さんがみんな平等で、世話はするが、誰とでも親しくなると、心に負担ができ、うまく平等で気持ちよく住ませることができないことが心配で、私のようなややこしい子を拒否しているのか?
わからないのだ。

もし、私がお母さんと仲良くすることと、私たちが気持よくここに住むことと、行き違い、相反のところがなければ、なぜ私のことで「驚いた」、「留学生=兪の応援をする度量がない」とでもいうのでしょうか?
何が起こったのか?

やはり誤解されているではないか?
私はやはり話すことにする!しなければ、ごまかして仲直りが可能ですが、結局解決しないまま、自分の身にある問題点も、誤解されるところもわからないので、私はそのほうが苦しく思う。

お母さん!ぜひ、お気持ちをお聞かせください!

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