もう、こんなに悲しい話、書かないと思ったが、
やめるのが無理だった。
今日は一日考え込んで、自分が利害関係にある時に、
何かうまく中国のお母さんを忘れて、新しい自分になれる方法があるかなと。
なかったのだ。
どう探しても見つからなかったのだ。
私がお母さんになっていた。
きっと、遠いふるさとにいるお母さんが知っていたら、悲しいだろう。
しかし、私はどうしようもなかったのだ。
人間の弱さをもう一度知っていた。
死を思う時に、本当にできるもんだ。
「矛盾の中から新しいアイディアを生み出す」ことが素晴しいリーダーの素質であると、ハーバードビジネスレビューに書かれていた。しかし、矛盾があって、抜け出せない人々がいて、彼らはこの世、一番不幸な人ではないでしょうか?
私は自分が悩むことができることを幸せだと、大学1年生の時から、真剣に思っていた。
しかし、日本のお母さんに、「悩みますと言うことで有れば悩まないでと言っても仕方ないのでー」と言われた。彼女は私に悩まないでほしかった。
何年たっても、寝る時間を守らなくて、約束の時間も守られない人でいたくなかったのだ。
もっと自分とよく付き合って、自然な生活を送りたかったのだ。
中国のお母さんの愛されるジレンマの影の中にもがくようなことがしたくなかったのだ。
そして、いつも日本のお母さんに迷惑をかけっぱなしで、悪いと思うし、何もためになっていないのに、いつも物、ご飯ばかり貰った。その時に何を言えばいいでしょう。日本語がうまくないから、お世辞も言えないし、進んで自分の考え方さえどうなっているか分からなくなった。
そのうち、物を貰うことが当たり前と思ってしまって、自分が本当の息子になったと感じていた。それが原因なのかな、胡さんを妬いてたのは。自分が唯一だったが、胡さんも同じようになったのは、受け入れられなかったかもしれない。
何も考えていないで、お母さんの恩恵を貰いっぱなしでいた。
しかし、今中国のお母さんのことを思い出したら、まったく同じなのだった。
中国のお母さんに心配させたくない、負担をかけたくない、幸せにさせたい思いやりが、ここで同じ作用を発揮した。
カレーは食べたくないのではなくて、食べたら自分がもっと悲しくなるからだった。
扇風機も、布団もそうだった。
誰かが私にやさしくすると、逆に私が悲しくて泣いてしまう。
実の話をいうと、私は確かに逃げ回っていた。
布団は、冬で寒いから使いたいけど、部屋の中に置くのが邪魔だったから、私は寒さに強いし、処分してもいいと思っていた。ずっと「どこかに預かってもらってもいいですか」と聞くのを迷っていた。迷惑をかけてしまうから。
しかし、いつも面倒をみてくれているお母さんなら、出来るじゃないかと思いました。その後、メールでこだわられてしまった。どうしたらいい?どうすればいい?焦った私は、逃げる道をわざとではないけれども、選んでしまったのだ。「そのまま言わなければ、忘れるかもしれないでは?」と。
逆にお母さんに怒鳴られた。
私は、「単純に素直に忠告を受けて頂けると私も助かりますが」と言われることになってしまった。
今になって、できないのだ。
許してください。
私の中の、中国のお母さんのためにも。
私をややこしい子と思うかもしれない、
私を思いやりのない、助けることが難しい子と思うかもしれない。
私は、我が儘で、お母さんに頼る子になりたくないのだ。
私は、自分の力で、お母さんを幸せにしたいのだ!!
何もできなくて、こそどろのことしか今はできない私は、悔しくて、しにたくて。
死んだら、またお母さんが悲しいし、いろいろ処理が面倒だろう。
そのために、お母さんの身に何かあったらいけないし。
死にはしません。
「私ができること」の少なさに、自分でも驚く。
「優秀」と言われたことがあるが、私はちっとも優秀ではないのだ。
社会が怖くて、学校から出たくない私には、何かを言う権利があるのか。
授業も出なくて、単位を落とし、卒業が順調になるかどうかも心配な私に、優秀といわれる権利があるのか。
もともと、一生懸命がんばったら、中国の一流の大学にも行けたのに、遊びばかりで、段々通う学校のランクも落ちて、日本の大学に行く、当時の下の選択肢に選ばざるを得なかった私には、お母さんを幸せにさせることができるのだろうか!
私に、夢があった。
その夢も、お母さんのためにもったのかもしれない。
お母さんは、私が優秀と認めてくれた;私がやりたいことをいつも励ましてくれたから。
私の人生の中に、友達も、彼女も、親戚も、存在の意味が薄かった。
お母さんが私の一番大事な人だった。
そうなることがよくないかもしれないが、逃げられない運命だった。
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