今週は、プレッシャーが大きかったのだ。
大学院、自分の将来、研究室、生物、自己管理、時間。
いろんな要素がご茶になって、整理しても整理しきれなかったのだ。
そして、大家さんの北川さんに言われた。
「悪いですが共有の意識をお持ち下さいね。npoにも必要な事項だと思います。先ずは老婆心まで。」
「重い物を吊すのは危ないし大変な修理に成りますので止めてください。」
「昨日と今日のメールお読み頂けましたか、冷凍室を皆で使って頂く為ペツトは 2本位にしてくださいとお願いしたのに4本にされていてお願いは聞いて頂けないんでしょうか、天井の件も無視して使われるつもりでしょうか、少し不誠実な態度に悲しいです。専用住宅でお住まい頂いたほうが良いかもしれませんね。精一杯出来る事している積もりですが通じないとしたら悲しい限りです。 」
こう言うメールを返信しました。
「お母さん!大変申し訳ございませんでした!!メール読んでいなかったです。本当に今読みましたので、信じてください。私は無視するつもりはありません。メールを見ることに怠けました。いまペットボトルも出しました、天井のペットボトルもおろしました。ずっと前から、私は自分が自分のことしか考えていないことが分かっていました。直そうといつも思っています。時間に関して遅れることもしょっちゅうありますが、それもいつも直したいと思っていました。しかし、「少ない資源でたくさんのことができる方がいい」、「少ない時間でたくさんのことができる方が賢い」と昔の価値観変わらなかった。それは今でもそう思っているからです。なかなか直せないんですね。私はどうしたらいいでしょう???私は…この社会になれなくて、しんでしまうでしょうか。
胡さんに対しても最近冷めた態度をとっています。彼はいつもバイクと車で自慢してばかりで、私のことに賛成しないし、彼は北川さんといたら、私は話さえできなくて、自分は彼より人間関係ができていないし、面白くないことが分かっていますが、どうしても妬いてしまうのです。自分でも話したいと思って、一生懸命話したことがありますが、どうも自分らしくなくて。いつも避けようと思いましたが、気持ちがもやもやしてすっきりになれない。私、ダメな子でしょうか。
長いメールで申し訳ございません!どうかここに居させてください。 兪子豊」
本音です。
人間は自分ができないことが評価されることに恐怖感を抱いています。
特に愛している人、尊敬している人に。
天井に取り付けたばかりのひもとフックを取り外したとき、泣いていた。
抑えきれない感情が私の中から湧き出し、我慢しても、我慢しても仕方がなかったわけだ。
もともと自分はこんな賢い考え方があって、電気代も使わずに、クーラーじゃなく自然の風で体を冷やせるとお母さんに見せたら、喜ばれるだろう。今はそんなことを話したら、悲しまれるだけだけどね。
私は今まで自分の犯罪の訳が分からなかったが、少しわかったような気がしてきた。
なぜお「父さんが厳しい」という話をすると、涙が出てしまうか;なぜ辛くても、お金、ご飯を無駄にしたくないのか;なぜ勉強してなかった日に、自分をひどく責めるのか;なぜ人の目に気にしなくて、ダサい服を着ても、穴があいた靴下をはいても、屈辱に思わないのか;なぜずるをしてタイムカードを帰る時間より遅くおすのか;なぜ危険な状況に身をおいても、大胆でいられたのか;なぜ、人は私の才能を否定したときに、しにそうに苦しいのか。
すべてが読めた。
お母さんの私のための犠牲です。
お母さんは、自分のためにお金も使わなくて、布がダメになって、縫い繕うことができないまで着続けていた。お母さんは、シャレしたこともなくて、親戚から貰った香水、何十年たってもそのまま置いていた。自分が大事にしている玉のネックレスを私にくれて、「日本でお世話になった人に送って、私は使わないから」といった。トイレは自動に水が流れなくて、いつも隣で洗濯、洗面で使った汚い水をおいて、それでトイレを流していた。引っ越しも、独りで自転車で何十回も往復して、重い荷物を運んでいた。電車代使わなくて、いつも自転車で通勤していた。冬の大雪の時さえ。
私は塾で、成績が落ちたら、私を乗せて自転車に乗りながら、泣いていた。お父さんが私を叩いていたとき、お母さんは私を守って、お父さんとけんかしてから、ひとりで泣いていた。私は日本に行く前に、何か特技を勉強したいと、お母さんに連絡を頼んでいた。そして、また何日後聞いたら、お母さんはまだ見つかっていないと、そして私が怒っていた、なぜできないのかと。今考えたら、ひたすらわがままだった。しかしその時に、お母さんは泣き出した。「あなたのためになにもできなかった。私はだめなお母さんだ。ううう」私は呆れて唖然とした。こんなにお母さんが僕のことを愛してくれているのに、なぜ私はお母さんとけんかするのだと。二人で大泣きをしていた。その日、私は一生忘れないでしょう。
お母さんは、私を才能を認め続けていた。私がユニークであることをいつも認め、私は将来偉くなることを信じ続けていた。私がパソコンをいじると、お父さんに叱られるが、お母さんが背後で支持し続けていた。そして、私がいつも平安で、無事で、幸せな生活が送られると願い続けていた。
お母さんのことは、私しかわからないでしょう。いいや、私でも分かっていないはずだ。お母さんは、すべてを自分で担い、すべてをひとりで負い続けていた。
私はお母さん抜きで一人の人間になれない。私がやったすべてが、潜在意識的にお母さんを喜ばせ、お母さんの荷物を分担することだった。
私がほかの子より大人っぽいことと、パソコンが上手なことも、そこから来たのだ。
その私が、日本に来て、日本の社会に適することができる人間になろうとしている。
それは私のお母さんとのつながり、私の悪い習慣を切ろうをしている。
私は逃げようとしても、逃げられない運命であった。
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