昨今風雲が眼前を去り、幾久しくジャーナルに筆を浸す。
こんな9月の涼しい夜は、わが心を綿で包んでくれた如く優しい。
何の悩みを抱き、何の拍車を急かし、今までの人生を歩んできただろう。
なんて哀れな生き方。なんてくだらない精神状態。
「何が一番いいパラダイムだ?」
「道徳は出発点になるのか?」
「情能指数を上げるには何をすればいいのか?」
「ストレス解消にどんな考え方を持っていたらいいのか?」
こう言う問題を考えてきた。
失うこと、得ることを考えないでいる人もいる;
個人の形象を一番大事にしている人もいる;
能力やセンスを一番大事にする人もいる;
個人の自己実現を成果を一番関心する人もいる。
何を一番にするのが正しいのか?
もちろん、「正しい」なんてないけど、
私にとって「正しい」ものを探している。
「生きること」の定義にあるでしょうか。
そうだね。 もともと定義なんてないものに、
定義をしていることは、「パラダイム」なんだろう。
私の「生きる」ことに、
現代、自由、包容、品格、特色、高雅、天才などが含まれている。
さらに、幸福、愛情、連鎖、連想、仲間、感傷、進歩、激動、激情、衝動、欲望などがある。
まとまりそうもないが、
「生きる」のは「自分のため」と思っていた。
「自分」は「他人」の混合体である。
はたして、「自分のため」はうまくいくのだろうか?
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管理学の角度から見れば、「生きる」ことの意味は、
「生きる」こと自体と同時に生まれ、同時に消滅しなければいけない。
「生きる」ことを司る権力もあれば、責任は同時に要求する。
「生きる」ことに、進歩があれば奨励すべきであり、計画とコントロールのシステムがなければいけない。
何がそうなのか?
道徳なのか。快楽なのか。責任なのか。尊厳なのか。
社会なのか。奉仕なのか。利益なのか。真理なのか。
続き
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